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「中宮彰子の出産後」に紫式部を襲った"深い憂鬱" 夜が明ければため息をつき、1人思い悩む日々

東洋経済オンライン / 2024年8月17日 9時30分

そのような中で、藤原道長のある行動が、紫式部の日記に記されています。

道長は、夜中であろうが、未明であろうが、御座所のほうに参り、皇子の乳母の懐を探ったというのです。それは変な意味ではなく、皇子を抱っこしたいからでした。とは言え、可哀想なのは乳母です。ぐっすり寝入っていても、道長に起こされてしまうからです。

道長はそんなことはおかまいなし。首も据わらない皇子を抱き上げて、心ゆくまで可愛がっていたようです。

あるときには、抱っこの最中に皇子が粗相をしてしまったことがありました。道長は、着ていた直衣を脱ぎ、几帳の後ろで炙ってそれを乾かしたそうです。

直衣が濡れたのに、道長はなぜか大喜び。「親王様の小便に濡れるとは、なんと嬉しいこと。濡れた着物を炙る。これこそ、念願が叶った想いじゃ」とご満悦だったのです。

さて、出産後の一連の儀式の次にやって来る一大イベントは、道長の邸への行幸(天皇がお出かけになること)でした。

行幸の日が近づくにつれて、道長は邸内の整備に心を配ります。綺麗な菊を探し出させて、それを土御門殿(道長の邸)の庭に移植しました。白から紫に変色しているもの、黄色一色になっているものと、花の色もさまざま。

美しい花々を見て、紫式部の心も癒やされているのかと思いきや、そうではありませんでした。

日記には「朝霧の絶え間に見える花々を見ていると、老いも退いてしまいそうな気分になる。でも、なぜなのだろう。私にはそんな気持ちになれない」とあります。

無常感に取りつかれた紫式部

どうしたのでしょうか? 紫式部の声に耳を傾けてみましょう。

「もし私が世間並みの考えしか抱えていない人間ならば、風流だ、雅だと浮かれて、無常なこの世をやりすごしたことだろう。

しかし、現実の私はそうではない。素晴らしいことや素敵なことを見聞きしても、これまで密かに望んできた仏道のことに心が強く惹かれて、気が重く、嘆かわしさが募り、苦しいのだ。

どうにかして、何もかも忘れてしまおう。別にいい思い出というものもないことだし。これでは、罪障(往生の妨げとなる悪い行為)も深く、死後が思いやられる」

紫式部は無常感に取りつかれていたようです。そして出家したいという想いに達していたのでしょう。このような想いは、宮仕えしてから芽生えたものではなく、夫の藤原宣孝を亡くした辺りからのものだったと思われます。

紫式部の悩みは深く、夜が明ければため息をついて、水鳥が池で遊んでいる様子を見ては、1人思い悩んでいたのでした。

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