「夫を亡くして放心」紫式部が中宮彰子に抱く共感 将来への心細さを抱えながら源氏物語を執筆
東洋経済オンライン / 2024年8月18日 10時0分
(ウグイスはどなたの春の里を訪れたついでに、霞の中に閉じこもる、喪中のこの家を訪ねて来たのでしょうか)
以降は歌のやりとりがみられないので、ようやく諦めたらしい。招かざる客の来訪に「ああ、夫がいてくれれば……」とさらに虚しさが胸に去来したことだろう。
物語によって式部自身が癒やされていた
紫式部が『源氏物語』を書き始めた時期については、よくわかっていないが「夫の死後で、かつ、宮仕えする以前」とする説が有力である。
友人同士で物語を作って見せ合っているうちに、本格的な執筆へと入ったのだろうか。
式部は『紫式部日記』で「<いかにやいかに>とばかり、行く末の心細さはやるかたなきもの」(心に思うのは<いったいこれからどうなってしまうのだろう>と、そのことばかり。将来の心細さはどうしようもなかった)と不安な胸中を吐露しながら、つらさをこんなふうに紛らわせたと書いている。
「はかなき物語などにつけてうち語らふ人、同じ心なるはあはれに書き交し、すこしけどほきたよりどもを. 尋ねてもいひけるを、ただこれを様々にあへしらひ、そぞろごとにつれづれをば慰めつつ」
(取るにたりないものでも物語については、同じように感じ合える人と腹を割った手紙を交わし、少し疎遠な方にはつてを求めてでも声をかけた。私はただこの「物語」というものひとつを素材にさまざまな試行錯誤を繰り返し、慰み事にして寂しさを紛らわしていた)
紫式部と比較されやすい、清少納言による『枕草子』もまた、成立背景はよくわかっていない。
だが、藤原定子の華やかなところのみを表現していることから、暗くつらい状況に陥った定子を勇気づけるために、書かれたものではないかといわれている。
そうであるならば、清少納言がたった1人のために書いた読み物が、時代を超えて今でも多くの人に読み継がれている、ということになる。
紫式部が寂しい気持ちを鎮めるために書いたとすれば、『源氏物語』もまた、もともとは、たった1人のために書かれたものだったということになる。
自分のために書いたからこそ、未曽有の長編物語になるほど続けることができ、結果的には、文学史に金字塔を打ち立てることになったのかもしれない。
そして、そんな『源氏物語』の評判を聞いた藤原道長から働きかけられて、式部は道長の娘・彰子に仕えることになる。
宮仕えが「恥さらし」とされたワケ
式部が彰子のもとに出仕したのは33歳~34歳の頃で、寛弘2(1005)年、あるいは、寛弘3(1006)年の年末からだったとされている。
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