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「夫を亡くして放心」紫式部が中宮彰子に抱く共感 将来への心細さを抱えながら源氏物語を執筆

東洋経済オンライン / 2024年8月18日 10時0分

しかし、女性が他人の前に姿を現すことが珍しかった当時において、宮廷に仕えて、多くの人を取り次ぐ女房の仕事を「恥ずべきもの」とする風潮があったようだ。

藤原実資は長和2(1013)年7月12日付の『小右記』で、宮仕えについて、次のように評している。

「近頃は、太政大臣や大納言などの娘でも、父が死ぬと宮仕えに出るが、世間ではこれを嘆かわしいこととしている。末代の公卿の娘は先祖の恥さらしというものだ」

そこまで言われれば、当の女房たちだって反発したくなるというものだろう。

中宮の定子に仕えた清少納言は『枕草子』で「宮仕する人を、あはあはしうわるきことにいひおもひたる男などこそ、いとにくけれ」と書いて、宮仕えをする女性を「軽薄で悪いことだ」ととらえる男性のことを憎らしい、と恨み言を書いている。

それと同時に、女房たちはどうしても、本来は口にすることさえも恐れ多い天皇や、中宮など高貴な人たちと接することから、清少納言は世間から「みっともない」と言われることについて「げにそもまたさることぞかし」(それはもっともなことなのかもしれない)と、諦めの境地に達していたようだ。

もっとも清少納言の場合は、社交的な性格で、宮仕えを楽しんでいたことが『枕草子』からはありありと伝わってくる。それがゆえに、世間に何を言われても「憎たらしくは思うけれど、仕方がないかな」と流す余裕もあったのだろう。

陰気な彰子に式部が覚えたシンパシー

一方、式部は自分の性格を「埋もれ木を折り入れたる心ばせ」と評している。「埋もれた木」だけでも十分、引っ込み思案なのに、それを折って土に埋めるくらい、と自虐するほどだから、少なくとも社交好きではなかったのだろう。式部は宮仕えを始めたものの、数日で実家に帰り、3カ月も引きこもってしまった。

それでも「あまりものづつみせさせ給へる御心」(あまりにも控えめな性格)を持つ彰子に、どうしようもなく惹かれたようだ。式部は再び出仕し、彰子のそばにいようと決意するのであった。

【参考文献】
山本利達校注『新潮日本古典集成〈新装版〉 紫式部日記 紫式部集』(新潮社)
『藤原道長「御堂関白記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
『藤原行成「権記」全現代語訳』(倉本一宏訳、講談社学術文庫)
倉本一宏編『現代語訳 小右記』(吉川弘文館)
源顕兼編、伊東玉美訳『古事談』 (ちくま学芸文庫)
桑原博史解説『新潮日本古典集成〈新装版〉 無名草子』 (新潮社)
今井源衛『紫式部』(吉川弘文館)
倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社現代新書)
関幸彦『藤原道長と紫式部 「貴族道」と「女房」の平安王朝』 (朝日新書)
繁田信一『殴り合う貴族たち』(柏書房)
倉本一宏『藤原伊周・隆家』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『偉人名言迷言事典』(笠間書院)

真山 知幸:著述家

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