1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

紫式部は見た!若宮誕生祝いの"公卿たちの醜態" 酔いつぶれて見るに堪えない行為をする者も…

東洋経済オンライン / 2024年8月24日 10時0分

京都御所(写真: Daikegoro / PIXTA)

今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は若宮(敦成親王)の誕生から50日を祝う宴の席での、紫式部のエピソードを紹介します。

著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。

若宮の誕生から50日を祝う宴の席

藤原道長の娘・中宮彰子が産んだ若宮(敦成親王)の誕生から50日のお祝いが、寛弘5年(1008年)11月1日に行われました。

【写真】宴では源氏物語を執筆する紫式部を冷やかす声も。写真は京都府宇治市にある源氏物語宇治十帖モニュメント

女房として彰子に仕えていた紫式部は、自身の日記のなかで「女房たちが着飾って参集した御前の光景は、まるで絵に書いた物合の場のようでした」と描写しています。物合とは、左右に分かれ、お互いに物を出し合いその優劣を競う遊戯のことです。

このお祝いの席には、公卿・大臣も参列していました。しかし、その中には、酔い潰れてよからぬことをする者もいました。その時の様子も、紫式部は書き残しています。

右大臣(藤原顕光)などは、几帳の布のとじ目を引きちぎる粗相をしたそう。その状況を見て、周りにいた女房たちは「いい歳をして」と皆、つつきあっていたとのことです。

そうとも知らず、右大臣は女房の扇を取り上げるという行為にまで及びました。いつの世にも、酔うととんでもないことをする人はいるものですね。困ったものです。

紫式部はさらに変わったことをしている公卿を発見します。公卿が女房に近寄り、女房の袖から見える衣の枚数を数えているのです。

そんなことをしていたのは、右大将(藤原実資)でした。紫式部は、右大将の行為を「さすがにほかの方と違う」と記していますが、これは誉めているのでしょうか?

紫式部が右大将に嫌悪感を抱いていないことは、この直後に紫式部が右大将に話しかけていることからもわかります。紫式部の性格からすれば、おかしな行動をする人に進んで話しかけないと思われますが、(お酒の場だし、少しくらいはいいだろう。どうせ、私のことなど誰もご存じないのだから)と思い、右大将に近づいて、言葉をかけたようです。

紫式部曰く、右大将は「今風のおしゃれな人よりも、こちらを圧倒する雰囲気をお持ち」だとのこと。紫式部は、ほかの人とは違う雰囲気を右大将から感じ取り、興味を抱いて話しかけたのでしょう。

紫式部は右大将の様子を、芸の披露は苦手のようで、自分の順番が近づくにつれてソワソワしていたとも記しています。結局、右大将は、無難な「千歳万代」という祝い歌を歌い、その場を切り抜けたようです。

源氏物語を執筆中の紫式部を冷やかす人物も

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

複数ページをまたぐ記事です

記事の最終ページでミッション達成してください