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静岡が「缶詰王国」に上りつめた明治期からの軌跡 有名企業が本社を置く知られざる缶詰の一大産地

東洋経済オンライン / 2024年8月25日 8時0分

浮世絵職人によってデザインされた蘭字は、日本のグラフィックスデザインの先駆けとも言われている。その洗練された妙技は、フェルケール博物館で確認することができるのだが、モダンかつポップなデザインは、現代でも通用するだろうオリジナリティを備えている。

清水港は、名実ともに日本一のお茶の港だった。ところが、アメリカで紅茶やコーヒーの需要が増えると、次第にお茶の輸出は低迷していく。

紅茶と緑茶は、どちらも同じ茶葉から作られるが、前者は茶葉を完全に発酵させることで作られる。対して後者は、茶葉を摘み取った後、すぐに加熱処理を行い、発酵を防ぐ。流通技術において紅茶のほうが品質保持に有利なこと、さらには絹織物、綿糸といった他の産業が輸出品として台頭していたことが原因だった。

「このような状況で、2つの解決策を考えていました。ひとつは、アメリカ以外の国=アフリカや西アジア地域に茶葉を輸出すること。もうひとつは、新たに開発したツナ缶をアメリカに輸出することでした」(椿原さん)

日本でツナ缶を製造するように

約200年前の1804年、フランス人ニコラ・アペールによって初めて瓶詰が発明され、その後、缶詰は考え出されたと言われる。日本では明治10年、北海道で日本初の缶詰工場が誕生し、同年10月10日にさけの缶詰が製造されたという。そのため、10月10日は「缶詰の日」として制定されている。

では、ツナ缶の誕生はいつか? 諸説あるものの、1903年にアメリカ・カリフォルニアで作られたものが世界初だと言われる。

ここ日本では、1928年に静岡県の水産試験場(現在の静岡県水産・海洋技術研究所)で製造予備試験を開始すると、その1年後にはアメリカへ輸出。1930年に清水食品株式会社、1931年には、後藤罐詰所(後のはごろもフーズ)が創業し、アメリカへの輸出を開始した。

はごろもフーズ専務取締役(当時)の川隅義之さんが説明する。

「1930年頃は、冷蔵冷凍設備が未発達でした。清水港で豊富に水揚げされるビンナガマグロを廃棄せずに利用するという意味もあり、ツナ缶を製造していました」

当時、日本人は少し白いビンナガマグロよりも本マグロを好んでいた。そこで持て余していたビンナガマグロを活用する――いわば、静岡のツナ缶は“もったいない精神”から生まれたわけだが、世界大戦の影響もあって、結果的に国内外の兵士の食料としても重宝されることになる。

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