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大阪メトロ野江内代、地味な「難読駅」の誕生秘話 谷町線の開通記念碑が物語る地元の"悲願"

東洋経済オンライン / 2024年8月28日 7時30分

こうした合成駅名の場合、「どちらの地名を先にするか」がしばしば議論となる。野江内代駅は、駅長室の場所が内代町側にあることから所在地が「内代町一丁目」とされており、「内代野江駅」となっていてもおかしくはない。だが、谷町線の計画が具体化した際、駅に付けられた名前は「野江駅」だった。

歴史をさかのぼると、京阪の野江駅は1910年の開業当初、野江内代駅のすぐ北側にあったのだが、内代の地名が駅名に入れられることはなかった。同駅は1931年のルート変更によって現在の位置に移転。名実ともに“野江の駅”となる。

それから約半世紀後、再びこの地に駅ができることになったものの、その駅名もやはり「野江」。これでは内代という名が埋もれてしまう。そこで、内代町の人々は立ち上がった。駅名に内代の名を入れるべく、町会役員を中心に一大キャンペーンを展開。市会議員の協力も得ながら、交通局や市役所への陳情などを精力的に行った。

内代町の人々の悲願

果たして、3年間にわたる活動が実を結び、同駅の名前は野江内代駅と定められたのだが、内代町の郷土史によると「それでも駅の看板が出るまでは心配で心配で、夜寝ながら駅名を暗唱していた」そうだ。内代町の住民の、開業当日の喜びは相当なものだったに違いない。

そして、それをうかがわせるものを内代町で見つけた。駅から600mほど離れた内代公園にあったのは、地下鉄の開業を記念した石碑。ぜひとも自分たちが住む地の名を駅名に入れたい……内代町の人々が熱望し、その願いがかなった証しが、この記念碑なのだ。

一方の野江側には、榎並猿楽の発祥地であることを示す石碑がある。猿楽とは能の母体となった中世芸能であり、古くからこの地が栄えていたことがわかる。

何の変哲もない駅と、ごくありふれた風景に見える街並み。だがしかし、少し歩けば歴史の息吹が感じられる。普段なにげなく使っている駅の周辺を、たまにはぶらぶらしてみるのもよい。

伊原 薫:鉄道ライター

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