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「やばい」以外の"自分の言葉"で「推し」を語るコツ 自分の「好き」を言語化するために重要なことは

東洋経済オンライン / 2024年9月6日 15時0分

胸になにかがグッと飛び込んでくる。そして、感情がぶわっとあふれる。あふれた感情はプラスの場合(=いいものだと思う)も、マイナスの場合(=悲しいものだと思う)もどちらもある。

良くも悪くも、感情が振り切れる体験──それが古語の「あはれなり」です。昔の人は、よくこんな便利な言葉をつくったものですよね。

しかし、現代語には「あはれなり」に代わる語彙がない。

感動したとか、感激したとか、そういった言葉が一番近いですが「あはれなり」が指す感情すべてを包括する語彙はありません。だから私たちは、「あはれなり」の現代語バージョンとして、「やばい」という言葉をいつのまにか発明したのでしょう。

「やばい」って、それがプラスの感情だろうとマイナスの感情だろうと、どちらかに指標が振り切れているといった意味ですよね。

いいときもよくないときも、なにか自分の感情が大きく動くような事態に対して、私たちは「やばい」を使う。あれは古語の「あはれなり」とまったく同じ意味なんです。

これは余談になりますが、そう考えている私は「『やばい』を使う最近の若者は語彙力がない!」って批判する気持ちがわからないんですよね。だって「やばい」って、要は「あはれなり」と同じ使い方をするんだから。

平安時代はオッケーで現代ではダメなんて、意味がわからない!

そんなわけで、日本には昔から「感情が大きく動くこと」をひと言「あはれなり」でまとめてしまう文化があるわけです。そして、なぜ「あはれなり」でまとめられるかというと、もう、そう表現するしかないからです。

感情がぶわっと動く。なんだかすごいものを見た──なんだこれ。

目の前で起こったことに対する自分の感情を言語化できないほどに、未知の事態である。そういう状況をもって、私たちは本当の意味で感動する。

だとすれば、自分の感情をすぐさま言語化できないことを恥ずかしく思う必要はないんですよ。むしろ、言語化できないほど感情を動かされるものに出会えたことを嬉しく思いましょう。そんな出会い、人生でなかなかあるものじゃない。

感情を大きく動かしてくれるって、それがたとえマイナスでもプラスでも、人生におけるすごく素敵なギフトです。

なんのために感動を言語化するの?

しかし「じゃあ感動を呼びさましてくれた推しに感謝! 感動は感動のままに、言語化せずに終わりましょう!」だと……SNSにもブログにもファンレターにもなにも書けずに終わってしまいます。それは困りますよね。

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