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伊藤蘭が好きすぎて「腕にRANと彫った」彼の半生 「高校の2年で100公演」半世紀後も応援する理由

東洋経済オンライン / 2024年9月10日 13時5分

「上京するとき部屋のポスターと切り抜きを全部はがしました。少なくとも300枚あったかな。部屋中に貼っていたからすごい量でね、はがすのに苦労しました。こんなにも毎日キャンとランのことばかり考えていたんだと、感慨深かったですね」

ちなみに高校3年生までにキャンディーズにつぎ込んだお金は、コンサートにおける諸費用、レコード・雑誌の購入費など合わせて300万円に達していたはずということです。

「出版の道に進めばランを取材できるかもしれない」

上京し、倍率40倍にのぼる芸大の油画科を目指し美術系の予備校へ通うも、怠惰な生活を送るだけで浪人生活は3浪目に突入。その間、ランは映画『ヒポクラテスたち』(1980年/昭和55年)で女優・伊藤蘭として復帰を果たします。「東京に行けば、少しでもランに近づける」と熱い想いを胸に上京したものの、精神的な距離感は金沢にいた頃より遠のいたのでした。

「毎日、喫茶店のアルバイトでコーヒーを淹れて、ナポリタンを1日に何十皿も作って、それの繰り返しでした。せっかくバイトで得たお金を競馬でスッてしまう日々。『この人生、なんとかしなければ』と焦り、画家の道はあきらめて、ジャーナリスト専門学校に入学しました。ここで勉強して出版の道に進めば、復帰したランにインタビューできる日がくるのではないかと思ったから」

ジャーナリスト専門学校を卒業後、講談社の雑誌『PENTHOUSE』のフリー記者となった石黒さん。その後は、同社の『Hot-Dog PRESS』で契約編集者に。この10年近くの間で、インタビュー、グラビアなど伊藤蘭取材に漕ぎつけるべく果敢に3度のアタックを試みます。

しかし、当時の所属事務所の望む内容ではなく、実現には至りません。まるで「やさしい悪魔」が邪魔するかのように、神はなかなか石黒さんに「微笑をかえして」はくれないのでした。

自分のなかでラン/伊藤蘭は神聖な世界にいる女神である。疑似恋愛の対象ではない。そう納得しているつもりだったのに、彼女の結婚後、夫・水谷豊が出演する『相棒』は「1度も観ていない(笑)」という石黒さん。

「なぜここまで、自分はランに恋い焦がれるのか……」

30代になったある日、片時も伊藤蘭を忘れられない執着の原因と対峙することになります。きっかけは、生き別れになった母との出会いでした。

「32歳のとき、初めて(という言い方もヘンですが)生みの母に会ったんです。東京に戻って父にその話をしたら、『そうか……。伊藤蘭に似てただろう』と。

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