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虎に翼のモデル「三淵嘉子」心に残る裁判長の一言 「あなたが女だからといって特別扱いしない」

東洋経済オンライン / 2024年9月11日 10時30分

NHKの連続テレビ小説『虎に翼』では、この潤四郎をモデルにした人物として、滝藤賢一演じる多岐川幸四郎が登場し、異彩を放っていた。鼻下にチョビヒゲを生やしていたことや、演説が得意で何かと熱弁したことは史実どおりで、実際の潤四郎もそんなユーモラスな男だったらしい。

もっとも嘉子もムードメーカーという点では、負けていなかった。嘉子の死後に刊行された追想文集『追想のひと三淵嘉子』には、多くの関係者による嘉子との思い出が綴られている。そのなかで同僚だった八島俊夫は、嘉子の様子をこう書いている。

「和田さんは、いつも大きな風呂敷包みを持って通勤しておられました。当時、小さな子供さんをかかえての生活は大変だったようですが、そんな素振りは言葉にも態度にも何一つ現されることなく、あの可愛いえくぼのある丸ぽちゃの顔に、いつも微笑みをたたえながら、よく動いておられました」

仕事後に、最高裁家庭局のメンバーで懇親会が開かれたときにも、嘉子はよく顔を出した。干物などをあぶりながら、焼酎を分け合っては、交代で歌を歌うのがお決まりの流れだったとか。なかでも嘉子の歌は場を大いに盛り上げたという。

「和田さんは、『コロッケのうた』や『うちのパパとママ 』 (筆者注:正式名称は『モンパパ』)などうたわれましたが、皆が希望したのは、当時流行していた『リンゴの唄 』でした。本当に、リンゴのように真っ赤なほっぺをして、きれいなアルトでたのしそうにうたっておられました」(八島俊夫「りんごの歌」三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』より)

全国49カ所に家庭裁判所ができたのは、昭和24(1949)年1月1日のことである。新民法のなかで男女平等がうたわれたことで、当時の家庭裁判所には、家庭でトラブルを抱えた母親が殺到した。

「駆け込み寺」のようなカオスのなかで、相談者1人ひとりに向き合うには、潤四郎や嘉子のような明るいキャラクターが欠かせなかったことだろう。

女性進出を阻む男性の「必要以上のいたわり」

事務方としてそんな密度の濃い経験をした嘉子は、昭和24(1949)年8月、ついに東京地方裁判所の判事補となる。

すでに同年4月に、日本における女性初の判事補として、石渡満子が東京地方裁判所に赴任しており、嘉子はそのあとに続いたことになる。ちなみに、同じタイミングで門上千恵子が東京地方検察庁検事に任官。日本における初めての女性検事も誕生した。

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