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おでん屋もやった「銀座寿司幸」創業140年の壮絶 明治から続く寿司の名店が今も繁盛店な理由

東洋経済オンライン / 2024年9月16日 12時0分

銀座6丁目に佇む「銀座寿司幸」本店は創業約140年(撮影:梅谷秀司)

現在4代目の杉山衛氏が切り盛りする「銀座寿司幸本店」は押しも押されもせぬ、日本を代表する江戸前寿司の名店である。創業は1885年と、来年で創業140年。明治、大正、昭和、平成、令和の5つの時代で繁盛店であり続けてきたということは奇跡に近い。

【写真】銀座寿司幸4代目の杉山衛さん

2年以内に50%が廃業すると言われる飲食業界においてこれほどまでに長く人々に支持されてきた理由はどこにあるのか。その歴史を探っていくと、類いまれなるサバイバル能力と繁盛店ならではのトレンドに対する感度の高さが見えてきた。

「新橋」が超絶に栄えた理由

時は明治維新直後のこと。静岡生まれの下級武士だった杉山幸二郎は、日々の生活を営むのも苦労するようになり、芝の増上寺の門前町、芝大門に店を構える「かねたま寿司」を頼って上京した。

十数年修業し、新橋(現在のゆりかもめの発着所の近く)で独立。当時、芝の神明町から愛宕警察のあたりまでの新橋は、薩長の役人たちの会合が多くあったこともあり、夜も暮れないといわれるほどの繁華街だったそう。

当時、最も格の高かった花街は芳町といわれた人形町や柳橋だったが、そこでは大きな顔をした薩長の田舎役人は受け入れられなかった。そこで彼らが流れたのが新橋だ。場所的に政治の中枢である霞が関が近いことも功を奏し、気づけば、数十年のうちには新橋が花柳界の中でもトップに立つように。これにつれて「寿司幸」も順調に業績をのばしていく。

初代は明治のうちに亡くなり、2代目があとを継ぐ。兄弟で店を切り盛りしていたが、長男もまた明治のうちに亡くなり、明治の終わりには弟(杉山氏の祖父にあたる)が経営を任されるように。第1次世界大戦が近づくと、景気がさらによくなり、大正ロマンと言われたように、粋な客が大勢来るようになった。

関東大震災→火事で一から出直しに

ところが、店が軌道に乗り始めた大正12年、関東大震災が起こる。仕込みの最中だったというが、食器は割れなかったというから、揺れはそれほどではなかったのかもしれない。

が、2~3時間もすると、リヤカーに家財道具を積んだ人たちが日本橋のほうから押し寄せてきた。空を見上げればどす黒い煙で覆われている。火事である。

2代目主人は当時、町会長をやっていたこともあり、ここにいては大変だと、皆を引き連れ、水の湧く愛宕山の上まで皆で逃げたそうだ。仕込み中だった寸胴いっぱいの煮鮑を持って走ったというのだから、無我夢中ぶりがうかがえる。

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