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「苦手なこと」は克服するのではなく"回避する" 「恐怖」は人が生きていくために必要不可欠

東洋経済オンライン / 2024年9月20日 19時0分

無理して相手に合わせると、ますます恐怖心をこじらせてしまいます。

初めて会う人や新しい職場に行った際には、最初に「電話はちょっと苦手なので、これこれでお願いします」と先手を打って公言しておくとよいと思います。そうすれば、「この人は電話が苦手」という目で見てもらえるので、少々の失敗は大目に見てもらえるはずです。

それに「自分はこれがいやです」とはっきり伝えるだけで、気持ちが楽になることもあるのではないでしょうか。

恐怖は人に必要なもの

そもそも「恐怖」は人が生きていくために必要不可欠な感覚です。恐怖心がなければ、身の安全を守ることができません。ただ何に危機感や不安を持つか、アンテナの立て方は人それぞれだと思うのです。

高いところがこわい人もいれば、狭い空間がダメな人もいます。私の友人の子どもは赤ちゃんのころ、丸いものを見ると泣き出し、ドラえもんやアンパンマンなど丸っこいものはみなダメで、とくに雪だるまを一番こわがったと言っていました。当然ながら、それらが出てくるアニメや絵本も読めなかったそうです。

しかし幼稚園に入ったころから何がきっかけかはわかりませんが、まったく問題なくなったとのことでした。

このように人それぞれ恐怖の対象に違いがあり、年齢や環境によって変わってくる場合もあります。もしそうなら、恐怖だけを特別なものととらえずに、甘いものが好きとか嫌いとか、赤い色が好きとか嫌いなどと同じように、個人の傾向、個性として見るべきではないでしょうか。

それを無理に「直せ」と押しつけるから、よけいに追い詰められて、病的にエスカレートしてしまうのだと思います。

どう考えても、あらゆる恐怖を取り除くことなど不可能です。だとしたら、恐怖という強い言葉でとらえないで、「私は電話が苦手」「ちょっと好きじゃない」くらいのニュアンスでとらえていれば、気持ちが楽になるのではないでしょうか。

「電話恐怖症でよかった」と思える日のために

何かこわいものや固執するものがあっても、そのうち気にならなくなることもあります。丸いものがこわかった私の友人の子どもの例もそうですが、私自身にも同じ経験があります。

ちょうど大学卒業を控え、就職活動をしていた時期に強迫観念にとらわれたことがありました。

自分の手が、ちょっとしたことをしてもすぐに汚れてしまったように思えて、頻繁にせっけんで手を洗わないと気がすまない。家の中で家族が私のものにさわっただけでも、「お父さん、手、洗った?」と血相を変えて聞くので、えらく不興を買いました。

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