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3浪東京藝大「音楽諦めた」彼女の"運命の出会い" 家庭環境の変化で、一度は夢を諦めたものの…

東洋経済オンライン / 2024年9月22日 8時0分

その当時のスケジュールは、週3〜4回スーパーでのアルバイトを午前9時~午後1時までこなしてから、学校でお手伝いをしたり、レッスンに通って、練習を続けていました。

「先生方が学校に呼んでくださったおかげで、音楽的な関わりを持ちながら、練習できる環境をもらえたのがありがたかったです。自宅でも、小太鼓の形をした消音の練習台を叩いて、ひたすら練習していました。でも、この年も音大受験生とのつながりはなく、ノウハウを得ることができなかったので、藝大は1次試験で落ちてしまいました」

この年は私立の音楽大学も受験して合格しましたが、学費が高かったこと、通学時間が長かったことに加えて、藝大に行きたいという思いが忘れられずに入学を辞退します。

「なぜかポジティブで、すぐ2浪目もしようと思っていた」石橋さんは、切り替えてまた訓練の日々を再開します。

しかしこの年、石橋さんの家庭に大きな変化がありました。

「2浪目の4月か5月くらいに、不況の煽りを受けて、父親が会社を早期退職しました。それで父は事業を立ち上げたのですが、経済状況がさらに厳しくなり、レッスン代を捻出できなくなったんです。

それを聞いて、私自身ふてくされてしまったんです。そのときも、ずっとスーパーのバイトはしていましたし、吹奏楽部に顔を出したり自分の給料から捻出してピアノのレッスンに通っていたのですが、センター試験の直前に、『もう音楽の道は諦めよう』と思い、受験を断念しました」

「生まれて初めて、(親に対して)グレるような状態になった」と語る石橋さん。音楽はずっと好きで、諦められないにもかかわらず、悩み続ける日々が続きました。

「好きなオーケストラのCDを聞いていると、こんなにもこの曲が好きなのに、音楽が好きなのに、将来自分は何も関係ないことをするんだなと……と、ずっとそう考えてしまい、ウジウジしていました」

3浪の年になってもアルバイトの日々は続きますが、夏になるとまた、音楽に未練が残っていたために小学校・中学校の先生がいる学校の吹奏楽部に顔を出すようになりました。

そこで彼女は、運命の出会いを果たします。

同い年の男の子から刺激を受ける

「トランペットをしていた同い年の男の子が、私と同じように手伝いをしに来ていました。話を聞いてみると彼も音大を目指したそうですが、いったん諦めて自衛隊に入ったそうです(※音楽隊ではない)。

でも、やっぱり音楽をすることを諦められなくて、自衛隊を辞めて藝大を受けるんだと言っていました。そのとき、私は『入れても3浪の年齢だけど……』と思い、『年齢のことについては気にしないのか?』と聞いたら、『いや、(気にはなるけど)受けるよ。こんなウジウジした気持ちで一生いるのは嫌でしょ?』って言われたんです。それを聞いて、自分も彼のように未練を残したらダメだなと思って『私も受ける!』と言いました」

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