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少年事件と向き合う「虎に翼」寅子モデルの信念 シンナーやボンド遊び等非行が横行するように

東洋経済オンライン / 2024年9月25日 10時30分

なぜ、それだけ粘り強く対応できたのか。嘉子のなかには、社会情勢がどれだけ変化しようとも「家庭裁判所の原点」を忘れてはならないという思いがあった。講演で嘉子は次のように語っている。

「家庭裁判所において、家事部と少年部とを総合的に機能させることは、創立以来の課題であり、また実務家にとって常に新しい問題といえる」

少年とその家庭には密接な関係があり、どちらかが傷つくと必ず影響を与え合う。だからこそ両方を手当てする必要あるとして、こう続けた。

「この頃考えることは『家庭に光を少年に愛を』というスローガンを掲げて発足した家庭裁判所の原点に戻るべきだ」

昭和47(1972)年6月、嘉子は新潟家庭裁判所所長に就任。日本における初の女性裁判長の誕生となった。

嘉子が担当した事件では、抗告(不服申立ての一種)がほとんどなかったという。少年が自身の犯行と向き合い、下された処分を受け入れることができているからだろう。捜査機関に対しては無言を貫いた少年が、家庭裁判所では話し出すというケースもたびたびだった。

だが、少年事件への世間の目は厳しく、昭和45(1970)年から、少年法の対象を現行の「20歳未満」から「18歳未満」に引き下げるべきではないか、という議論が巻き起こる。

そんななか、嘉子は非行少年の厳罰化に粘り強く抵抗。健全な育成のための措置をとるべきだという姿勢を貫いた。

家裁の「人間的雰囲気」を守り通した

嘉子は家裁広報誌『浜のそよ風』にて「そよ風ファンタジー」と題して寄稿を行っている。家裁が作り上げた「人間的雰囲気」を大切にするべきだとした。

「家裁が始まって以来大事に育てて来た家裁らしい空気は、どんな強風にあっても吹き飛ばされないようにしなければなりません。地裁や簡裁の正義公平を守る司法の厳しい空気に比べ、家裁の空気は、法を守りながら、家裁へ来る人達の福祉を考える人間的雰囲気です。それは新しい裁判所である家裁が30年かかって作り上げたものです」

さらに「嵐は吹き込んで欲しくない、そのときはしっかりと窓を閉めなければと思う」とも続けている。

1人の人間の一生につながった責任を感じる――。少年審判の責務をそう語った嘉子。家庭裁判所で審判を担当した少年・少女の数は、5000人を超えたという。

昭和54(1979)年11月、定年により退官するその日まで、三淵嘉子は少年少女の更生に生涯を捧げることとなった。


【参考文献】
三淵嘉子「私の歩んだ裁判官の道─女性法曹の先達として─」『女性法律家─拡大する新時代の活動分野─』(有斐閣)
三淵嘉子さんの追想文集刊行会編『追想のひと三淵嘉子』(三淵嘉子さん追想文集刊行会)
清永聡編著『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)
神野潔『三淵嘉子 先駆者であり続けた女性法曹の物語』(日本能率協会マネジメントセンター)
佐賀千惠美 ‎『三淵嘉子の生涯~人生を羽ばたいた“トラママ”』(内外出版社)
青山誠『三淵嘉子 日本法曹界に女性活躍の道を拓いた「トラママ」』 (角川文庫)
真山知幸、親野智可等 『天才を育てた親はどんな言葉をかけていたのか?』(サンマーク出版)

真山 知幸:著述家

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