紫式部が反論「自分への悪口とあだ名」呆れた中身 目の敵にされた紫式部は、馬鹿げていると記す
東洋経済オンライン / 2024年9月28日 9時30分
「一癖ありつい気兼ねしてしまう上臈の女房たちにも、不快に思われずに、ちゃんと(自分)を見ていただけるようにしたいものです」と紫式部は記します(※平安時代の女房は上から、上臈、中臈、下臈と、序列がありました。紫式部は中臈だったとされています)。
紫式部が鬱陶しいと批判してきた人々は、おそらく、上臈の女房の中にいるのでしょう。
紫式部が思う「女房としての心構え」
一方で、紫式部は女房としての心構えも、日記の中でつづっています。
女房は、雰囲気がよく、人当たりも穏やか。心に少し余裕を持ち、落ち着いていなければならない。そうすると「教養も風情も魅力となり、安心して見ていられる」し、人柄が素直であれば、他人から毛嫌いされることはないと、紫式部は説きます。
逆に「我こそが」という気持ちで振る舞って、態度も大げさになると、他人から変な目で見られてしまい、注目が集まってしまいます。
注目が集まると、その人の言葉や動作の中から、必ず欠点が顕わになってしまいます。なぜなら、人のことを貶したり、見下したりする人は、あら探しをするからです。
でも「我こそが」と振る舞わず、癖がない人であるならば、つまらない噂が流れたとしても、情けをかけてやりたくなる。そう紫式部は述べています。
女房たちと生活を送る中で、紫式部自身も自分の悪口が聞こえてくることがあったようでした。
左衛門の内侍(彰子の女房)は、紫式部をなぜか目の敵にして、不愉快な陰口を叩いていたようです。
例えば、帝(一条天皇)が紫式部が執筆した『源氏物語』をほかの女房たちに朗読させたことがありました。そのとき、帝は「この物語の作者に、日本書紀を読み解いてほしい。実に漢文の素養があるようだ」と仰せになりました。
これを聞いた左衛門の内侍は「紫式部は漢文の素養がとてもある」と殿上人に言いふらし、紫式部に「日本書紀講師女房様」というあだ名まで付けたとのこと。紫式部としては、馬鹿にされたと思ったのでしょう。
その悪口を聞いて、紫式部は「非常にばかばかしい」と一刀両断しました。「実家にいる女房の前であっても、私は慎んで過ごしているのに、日本書紀の講読会で素養をひけらかすなどありえない」との反論を記しています。
でも、紫式部はちょっとした自慢も書いています。
紫式部の弟・惟規がまだ幼かったときのこと。紫式部は、弟が漢籍を朗読するのを横で聞いていました。
弟は漢籍を暗唱するのに、とても時間がかかったのですが、紫式部は「不思議なほどスラスラ」と読み上げたのだとか。
この記事に関連するニュース
-
87歳で死去「道長の娘・彰子」及ぼす強大な影響力 藤原実資から「狂乱の極み」と批判されたことも
東洋経済オンライン / 2024年12月22日 8時30分
-
紫式部、藤原道長、清少納言の晩年とは?高く評価された女房も内裏を離れれば“一人の民”扱いで記録もされない時代だった
OTONA SALONE / 2024年12月16日 21時36分
-
NHK大河ドラマでは描かれない…紫式部の死後に宮廷の貴公子たちと次々と浮名を流した娘・賢子の意外な大出世
プレジデントオンライン / 2024年12月15日 15時15分
-
紫式部と藤原道長は「恋愛関係」にあったのか【再配信】 歴史学者や作家たちの見解を通して分析する
東洋経済オンライン / 2024年12月10日 13時0分
-
「紫式部の日記」に記された"明らかに異質な箇所" 突如手紙文体に、誰かに向けて書かれたもの?
東洋経済オンライン / 2024年12月1日 7時40分
ランキング
-
1船井電機会長「大変不満」=破産への即時抗告、高裁が却下
時事通信 / 2024年12月27日 18時51分
-
2川重に「不正当然の風土」=裏金で調査結果、社長ら処分
時事通信 / 2024年12月27日 22時4分
-
3「軽自動車を国民車に育て上げられた憧れのおやじさん」スズキ鈴木修氏死去にトヨタ豊田章男会長コメント全文
TBS NEWS DIG Powered by JNN / 2024年12月27日 19時8分
-
4推しに会いたい!「CD大量購入」「投げ銭」の深い沼 "活力"から一転、課金にハマったファンの末路
東洋経済オンライン / 2024年12月28日 7時30分
-
5なぜ百貨店は正月に休むのか 「人手不足」説に隠れた各社の真意
ITmedia ビジネスオンライン / 2024年12月27日 8時5分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください