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父が狩る「大ネズミ」の唐揚げを食べる家族の日常 狩猟シーズンはほとんどスーパーで肉を買わない

東洋経済オンライン / 2024年9月29日 16時30分

(写真:海と猫/PIXTA)

狩猟で手に入った獲物は、家庭でどのように食べられているのでしょうか。

イラストレーターの服部小雪さんは、閑静な住宅街にある自宅で、シカをさばいたり、ニワトリを卵から育てたりする生活をしてきました。夫は、サバイバル登山家として知られる服部文祥さん。服部家では、狩猟のシーズンは、スーパーで肉を買うことはほとんどありません。シカ、イノシシ、時にはヌートリアが、子どもたちのお弁当になることもあったそうです。

生き物を獲り、命をいただく日常を、服部小雪著『はっとりさんちの野性な毎日』から抜粋して、紹介します。

トレーに入っている肉はとても便利

鹿やイノシシが丸ごと一頭手に入ると、やったあ、これでしばらく生きられる、と素直に嬉しい。解体のときも食べるときも、自然にみんながニコニコして沸き立っている。でもそれは、日常の光景ではない。狩猟で生計を立てているわけではなく、あくまでスペシャルなことだ。

【イラスト】狩猟で手に入った獲物のその後

矛盾したことを言うようだが、売られている肉はおいしい食べ物だ。鶏肉の唐揚げ、豚肉と青菜の炒め物。昔から慣れ親しんできた味は、私たちをほっとさせる。皮肉にも、野生肉を食べていたら、そのことに気がついた。

文祥が不在の夜。ブラックコユキが舞い降りてきて、いそいそと豚バラ肉と白菜の鍋を作る。子供たちが「豚肉ってさ、よくできているよね」としみじみと言った。確かに、と私は力強くうなずいてしまう。

人間が飽きずに買い求めるように、肉は作られている。トレーに入っている肉を改めて見ると、すぐに料理ができるように薄くスライスされて小分けにされており、味にハズレがない。お金さえ出せば、手を汚すことなくこんな便利な肉が手に入る誘惑にはなかなか勝てない。もしや私たちも、貨幣経済に飼いならされている家畜なのだろうか。

命をいただく後ろめたさ

『いのちをいただく』(西日本新聞社)という本がある。原案者の坂本義喜さんは熊本の食肉加工センターで働いている。坂本さんの息子、小学校3年生のしのぶ君は、授業参観の日、社会科のいろんな仕事という授業で父親の仕事を「肉屋です」と発表した。

しのぶ君は学校の帰り際、担任の先生に呼びとめられた。

「坂本、何でお父さんの仕事ば普通の肉屋て言うたとや?」

「ばってん、カッコわるかもん。一回、見たことがあるばってん、血のいっぱいついてからカッコわるかもん」

「坂本、おまえのお父さんが仕事ばせんと、先生も、坂本も、校長先生も、会社の社長さんも、肉ば食べれんとぞ。すごか仕事ぞ」

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