愛嬌ある「団子鼻」が目印、元祖新幹線0系の記憶 試運転から国鉄時代の全盛期、晩年の姿まで
東洋経済オンライン / 2024年10月3日 7時0分
「時速210km」の速度計に胸躍らせて
そのデザインもさることながら、標準軌の新幹線電車は在来線車両と比べて車体が大型となったのも特徴であった。その大きさを生かし、車内にはこれまでの国鉄特急列車にはないさまざまな接客設備を備えた。
2等車(現在の普通車)のシートは、在来線では横4列配置のところ、2+3の5列配置を採用。当時はリクライニングシートではなく、背もたれの向きを変えることで方向を変える転換式クロスシートだった。1等車(現在のグリーン車)は横4列のゆったりした配置で、フットレストを備えたリクライニングシートだった。各座席には毛布のサービスもあった。
当時、在来線の特急列車には食堂車が連結されていたが、新幹線は所要時間が短いこともあり、開業時は12両編成の5号車・9号車の半分に軽食や飲み物などを提供する「ビュフェ」を設置した。スピード自慢の新幹線だけにビュフェの壁には速度計が設置してあり、最高時速210kmの表示を見ようと乗客が殺到した。筆者はカレーライスやサンドイッチを食べながら速度計の210km表示に胸躍らせていた。
ビュフェの速度計をめぐっては、こんなエピソードも耳にした。なかなか最高速度に達しない速度計の表示に不満の乗客たちが、車掌に「いつ210km出るんだ!」と詰め寄り、車掌が運転士に電話で「最高速度を出せと言われている」と伝えると、すぐ最高速度に達してビュフェ内に拍手が沸いた――という話を当時の運転士から聞いたことがある。
開業当初、東京―新大阪間の所要時間は「ひかり」が4時間、「こだま」は5時間で、最高時速は200kmで運転していた。開業翌年の1965年には時速210km運転を開始し、同年11月1日のダイヤ改正からは「ひかり」が3時間10分、「こだま」が4時間で走るようになった。
世界一速い鉄道「SHINKANSEN」の象徴である0系は、海外では「Bullet Train(弾丸列車)」として、とくにヨーロッパやアメリカでは羨望の的の列車であった。鉄道先進国でありながら高速列車の実用化に出遅れたフランスでは「シンカンセンに追いつけ追い越せ」とばかりにTGVの開発を始めた。0系、そして新幹線は世界の鉄道に大きな影響を与えた。
食堂車の「富士山問題」
0系に食堂車が登場したのは、1975年3月の山陽新幹線博多開業を半年後に控えた1974年9月のことだった。東京―博多間の乗車時間が6時間を超えるため、ビュフェだけでなく本格的な食事を提供する車両が必要と考えられたためだ。
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