モンゴル出身者が感動した親日派中国教師の教え 先生が歴史の教科書を「これは全部ウソ」と否定
東洋経済オンライン / 2024年10月10日 19時30分
世界の目から見ると、日本と中国は同じ文化と思われがちだ。しかし歴史をつぶさに見れば、両者のあいだには大きな隔たりがある。モンゴルで生まれて中国で学び、日本に帰化した著者が、文化大革命前後の中国で目の当たりにしたカルチャーショックを赤裸々に綴る。
※本稿は、楊海英氏著『中国を見破る』を一部抜粋・編集したものです。
「日本人のように正直に、公平に、規律正しく」
私の名を初めて目にされる方は、「楊海英とは何者か?」と思われることだろう。
そこで、私がこれまで見聞きしてきたモンゴル人と中国人の対日感情を、年代を追って紹介することで、私・楊海英(モンゴル名はオーノス・チョクトで、日本名は大野旭)についても知ってもらえればと思う。私の人生を振り返ると、モンゴル、中国、日本の関係性が見えてくる。そう考えるからだ。
まず私が生まれ育った土地は今、内モンゴル自治区と呼ばれている。かつて蒙疆(もうきよう)やモンゴル自治邦と呼ばれた時代は、実質的には帝国日本の支配下にあった。
ただ、日本に虐げられているという感覚はなかった。というのも、モンゴル軍の騎馬兵だった父は、幼い私に「日本人のように正直に、公平に、規律正しく生きなければならない」とよく話してくれたからだ。
私は1964年生まれだが、2年後にあの悪名高き文化大革命がはじまった。中国全土を混乱に陥れたことでのちに「災難」とまで評されるこの文革は10年も続いたのだが、私が12歳のときにようやく終わった。中国と無関係なはずのモンゴル人も故郷が中国に占拠されたがゆえに、大量虐殺の対象とされた時代である。
高校生になった私が、日本語の勉強をはじめると、家族は皆、よろこんだ。わが家が特別なわけではなかった。南モンゴル(あえてそう呼ばせていただくことにする!)には知日家が多く、傀儡政権を置かれた植民地という意識は薄かったからである。
私が高校に入学した1980年は、あとで振り返ると特別な年だった。文革が終わって3年がたち、ようやく大学入試制度が再開された、その翌年だったのだ。
中国の大学は、文革期には入試がなかったと記憶している。大学の機能はほぼストップしていた。そうなると、共産党幹部の子弟だけが入学できることになる。
文革が終わった翌年から、大学は学生を受け入れたのだが、文革中はまともな教育が受けられなかったから、中学・高校で以前の学生ほどは勉強をしていない子供たちが、そのまま大学生になったわけである。
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