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モンゴル出身者が感動した親日派中国教師の教え 先生が歴史の教科書を「これは全部ウソ」と否定

東洋経済オンライン / 2024年10月10日 19時30分

私は、小学5年のときに文革が終わったので、中学生になってからは猛烈に勉強した。そして、地元の南モンゴルにあるオルドスの高校に進学した。

高校の先生には、この南モンゴルの地に下放された、もとはフフホト市や北京、それに上海などで暮らしていた知識人たちがいた。下放とは、中国共産党幹部や知識人が農民の生活と仕事を体験することである。文革期には、大学教授などの知識人が農村地域に下放された。「反革命知識人」「反動分子」と糾弾され、紅衛兵や中国人(漢人)農民から暴力を受けた知的エリートたちもいた。

中国共産党が全人民を率いて、日本軍に勝利した

私が入学した高校では、元大学教授などが先生だった。中国人(漢人)の先生もいた。「知識青年」という用語があるが、こうした先生は、私からすると「下放知識人」と呼ぶのがしっくりくる。彼らの授業は、今思い出してもレベルが高くておもしろかった。

当時、歴史の教科書をひらくと〈中国共産党が全人民を率いて、日本軍に勝利した〉と書いてあったように記憶している。しかし先生は「これは全部ウソだよ。僕らは日本軍にいたけど、中国共産党と戦ったことは一度もない。蔣介石の国民党軍と戦っていたのだ。ただし、大学入試に出るから、ウソと承知で暗記しなさい」といっていた。戦争の現場にいた人の話だから、疑いようがない。

「日本軍は、教科書に書いてある通り、村を襲って殺人や放火、強姦を働いたんですか?」と尋ねると、先生は「そんなわけないよ! 日本軍は規律正しかった」と怒っていた。

満蒙という用語は聞いたことがあるだろう。中国東北部の満洲と、内蒙古(内モンゴル)を指す。その地に1932年、満洲国が成立するが、満洲国の軍隊には、日本人部隊、モンゴル人部隊、高麗人部隊があって、先生はモンゴル人部隊に所属していた。

先生は、南京事件の記述も「デタラメだ」と語っていたように思う。教科書を否定する知識人の反骨精神は、10代の私たちには刺激的だった。

漢人にも親日派が

「日本人はどんな人たちだった?」と尋ねたとき、先生が「礼儀正しく、清潔だった」と答えたことは強く印象に残った。父の言葉は噓ではなかったのだなと子供ながらに確信した。ちなみにこの清潔というのは、衛生的な意味もあるが、洗練されていたという意味でもある。

私が日本語を教わった朱先生は、仙台の東北帝大(同大の医学専門部の前身が仙台医学専門学校)に留学したというから、のちの「文豪」魯迅の後輩だった。戦時中は満洲国の役人だったそうだ。真夏でもシャツのボタンを首もとの一番上までかけていた。いつも始業の5分前に教室へきて、授業を終えるとさっと帰っていく。パーフェクトな日本語で、父や先生から聞いた日本人のイメージそのままだった。

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