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牛丼チェーン「深夜料金」に不満の声が続出する訳 外食チェーンのインフラ化に我々は慣れてしまった

東洋経済オンライン / 2024年10月12日 9時40分

「いつもみたいに牛丼屋行ったら深夜料金取られて損した気分になった、いや、事情はわかるんだけど……」

「『すき家』好きなのに深夜料金だから、『きらい家』になっちゃうかも……280円で食べれてたときが懐かし過ぎる」

「牛丼食べるときは22時前に店に駆け込むか、吉野家かなあ」

などなど、深夜料金への理解はありつつも、値上げに戸惑う投稿が多く見られた。また、深夜料金を行っていない吉野家に流れるような投稿も見られ、今後の牛丼チェーンの展開も気になるところではある。

こうした反応を見るにつけ、私は牛丼チェーンがいかに「社会のインフラ」的な存在になってきたのかを、改めて感じている。

そもそも、牛丼チェーンの始まりと深夜営業は密接だった。

牛丼チェーンが日本で勃興したのは、1960年に新橋に1号店を開いたなんどき屋がきっかけだ。当時、ほとんど食べられなくなっていた「牛丼」に目をつけ、1967年の段階で12店舗まで店舗を増やしていた。

なんどき屋の店名は、「いつ何時(なんどき)でもやっている」ことから付けられていて、その名の通り「24時間営業」スタイルを初めて採用した。つまり、深夜営業のはじまりだった。

実は吉野家は、この「なんどき屋」の影響を受けていて、1972年に24時間営業を開始した。そのスタイルを後続の松屋やすき家も踏襲して、「牛丼の24時間営業」が一般化したのである(近食文化研究会『牛丼の戦前史』より)。

そこから「深夜営業」も一般的なものとして浸透していく。

単身者の食事を支えてきた牛丼屋

なんどき屋が24時間営業を開始した1960年は、地方から東京に向けて多数の若者が働きにくる「集団就職」がもっとも盛んな時期だった。

1964年の流行語は、そんな彼らを表現した「金の卵」。多数の若者が都市部に急激に集まってきた。

その多くは単身者で若者であり、金銭的にも決して恵まれていなかったし、夜遅くまで働くことも多かった。そんな彼らの受け皿として、「やすく」「はやく」「いつでもやっている」、なんどき屋が重宝されたのだ。

それに影響を受けた吉野家も、こうした都会に流入した単身の若者たちに大いにウケただろう。当初から、一般的な時間には食事を食べることができない人々のための「インフラ」的な側面が強かったのである。

その後も牛丼チェーンは、こうした単身者を中心として「社会のインフラ」の一つとして機能していく。特に単身世帯は、1960年の358万世帯(16.2%)から一貫して増加し続けており、2010年には日本全国の32.4%が単身世帯だといわれている。

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