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「夢なんかなくていい」中学生に諭した禅僧の真意 「実現したい自分」は、じつは非常にあいまい

東洋経済オンライン / 2024年10月16日 18時0分

夢や希望を持つことが、必ずしも悪いと言っているわけではありません。ただ、持たなくても一向にかまわないと言っているのです。

現代で言う「夢」とは、多くの場合「職業」を指しているにすぎません。ほとんどの人にとって、夢とは「なりたい職業」であり、その職業をとおして自己実現したいのでしょう。しかし、その実現したい自分そのものが、じつは非常にあいまいな存在にすぎません。

職業を考えるときにもっとも大切なのは、「人の役に立ってお金をもらうこと」です。仕事は、自分の夢のためにあるわけではありません。

そこをはき違えていると、人は夢や希望に振りまわされてしまうのです。
私が本当に偉いと思うのは、夢や希望を叶えて生きる人ではありません。夢に破れても生きていく人です。「この目標を叶えたい」という願いが叶わなくても、しぶとく生きていく人です。

夢や希望を叶えて生きるのは、ある意味、ラクなことでしょう。たとえば、オリンピックで金メダルを獲った選手が、周囲の期待や精神的な重圧に耐えて結果を出せたのは、すばらしいことでしょう。

しかし、彼らはもともと優れた才能や精神力があり、自分の夢を叶えるために相応の努力をしたわけです。その才能と努力に見合った結果を出したのですから、その意味では、当然のことをやったまででしょう。

でも、血のにじむような努力をしたのにメダルに手が届かなかった選手が、結果を残せた選手より劣っているかと言えば、まったくそうではありません。

目標に向かって、懸命にがんばってきたけれど叶わなかった。夢をつかもうと必死で手を伸ばしたのに、届かなかった。その挫折感から立ち上がり、再び歩き出した人間の底力は、大したものだと感服します。そういった経験は考え方の幅や強さとなって、その人の財産となるはずです。

私は、人間にとって挫折は大事だと思います。なぜなら、そのとき人は損得勘定から離れられるからです。

「自分の欲を満たしたい」「人から認めてもらいたい」「自分のためになることをしたい」……。ふだん、人は得をしたいと思うところから動いています。「こうすればうまくいくかもしれない」「これをやれば得になるから、やってみよう」と考えがちです。

しかし、人生につまずくと、そんな算段は吹き飛びます。思いどおりにいかなかったとき、夢破れたときに、人は損得から離れ、自分が本当に大事にするものを見極めます。そして、それを見極めた後、自分の努力が報われるかどうかわからなくても、歩き始めます。そんな人間には、ある種の凄みが備わるのです。

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