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「仕方なく」家業を継いだ男性に起きた心境の変化 「うちの社員はすごい」大阪府八尾市の木村石鹸

東洋経済オンライン / 2024年10月20日 19時0分

年々重みを増す後継ぎプレッシャーや呪縛から離れることができたのは、大学生になって、京都で一人暮らしを始めてから。実家との物理的な距離ができ、ようやく「本当の自分」を取り戻せた気がしました。

とはいえ、壮大な夢や目的は特になく、あっという間に3年が過ぎ、周りが就職活動に勤しむ中で、働かずに生きていけないかと、モラトリアム気分を引きずったまま、現実逃避よろしく、毎日釣りと麻雀と、家庭教師のバイトでのらりくらりと過ごしていました。

そんなある日、すでに大学を卒業していた先輩から「一緒にネットビジネスをやらへん?」と声をかけてもらったことをきっかけに、ベンチャー経営の道を歩むことになりました。

当時の日本はプロバイダーさえも数えるほどしかない状況。当然、インターネットが何かもよくわかっていませんでしたが、なんとなくおもしろそうというだけで、気軽に引き受けてしまったのです。まさか、その世界にあんなに夢中になろうとは……。

実家に帰るのは盆と正月ぐらい。高校ぐらいまではかろうじて多少の手伝いはしていましたが、20代になると石鹸工場にもまったく足を運ばなくなりました。実家で何が起きているのか、どんな商売をしているのか、僕は意識的に情報をシャットアウトしていたのだと思います。

多少でも気にかけようものなら、すぐに「いつ継いでくれんねん」「いつ(家業へ)帰ってきてくれんねん」と言われてしまうから。それが嫌で嫌でたまらなかった。

たまに実家に帰ると、親父は「うちの会社はすごいんやぞ」「うちの社員はすごいぞ」を繰り返します。僕に少しでも興味を持ってもらいたかったのでしょうか。そんな話を聞かされれば聞かされるほど、家業への嫌悪感が募っていきました。

起業したベンチャーの経営はものすごく大変でした。利益の創出はもちろん、優秀な人材を確保することの難しさや、その人たちのマネジメントの課題に常にぶつかっていました。

ですから、親父の言う「うちの社員はすごいんやぞ」という言葉が、僕にはものすごく空々しく聞こえたんですね。どう考えてもただの虚言のようにしか思えませんでした。

若いベンチャー企業である自分たちは、マーケティングをしっかり学び、経営についても最新の経営理論を参考にして、ある種、アカデミックに理論的に正しい経営のあり方を模索している。

それに引き換え、家業は、どう見ても職人の世界だし、「ええもん作ったら売れんねん!」的な時代錯誤の会社だというような偏見を抱いていたんです。

家業を継ぐことになったきっかけ

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