藤原行成「道長も一条天皇も信頼」驚異の論破力 波乱万丈な人生、どう信頼を勝ち取ったのか?
東洋経済オンライン / 2024年10月20日 9時30分
NHK大河ドラマ「光る君へ」がスタートして、平安時代にスポットライトがあたっている。世界最古の長編物語の一つである『源氏物語』の作者として知られる、紫式部。誰もがその名を知りながらも、どんな人生を送ったかは意外と知られていない。紫式部が『源氏物語』を書くきっかけをつくったのが、藤原道長である。紫式部と藤原道長、そして二人を取り巻く人間関係はどのようなものだったのか。平安時代を生きる人々の暮らしや価値観なども合わせて、この連載で解説を行っていきたい。連載第41回は、道長や一条天皇からの信頼も厚かった藤原行成のエピソードを紹介する。
摂政の孫に生まれたが後ろ盾を失う
歴史に名を刻むような強烈な個性を持つ人物は「己の力だけで道を切り拓いた」と思われがちである。しかし、その背後には「右腕」のような存在がいることが少なくない。
【写真】道長や一条天皇から信頼を勝ち取っていた藤原行成。写真は行成ゆかりの行願寺
平安時代に貴族のトップとして栄華を誇った藤原道長にもまた、そんなサポーターたちがいた。「四納言」と呼ばれる4人の公卿、源俊賢・藤原公任・藤原斉信・藤原行成らがそうである。
なかでも最も若手である藤原行成は蔵人頭として、一条天皇と道長の架け橋となった。道長が剛腕を振るうたびに、行成は一条天皇の説得を行っている。
行成は天禄3(972)年、右近衛少将・藤原義孝の長男として生まれた。道長は康保3(966)年生まれなので、道長よりも6歳年下ということになる。祖父の藤原伊尹(これまさ)は屋敷が一条にあり、摂政を務めたことから「一条摂政」と呼ばれた。
しかし、行成が生まれた年に伊尹は49歳で死去。さらに3歳のときには、父が亡くなっている。外祖父の源保光(やすみつ)に養育されることになるが、行成が24歳になった長徳元(995)年に、保光も疫病により死亡してしまう。
摂政の孫に生まれながらも、後ろ盾を次々と失くしてしまった行成。花山天皇とは外戚関係にあったが、藤原兼家が策略を巡らした寛和2(986)年の「寛和の変」によって、花山天皇が出家すると、外戚の地位を失っている。
先行きが見えずに将来が不安だったに違いない。だが、長徳元(995) 年、保光という後ろ盾を失ってすぐに転機が訪れる。蔵人頭だった源俊賢が参議に昇進すると、後任として行成が蔵人頭へと抜擢されたのである。
出世の背景には、「四納言」では最年長の俊賢からの推挙があったと伝えられている。そんな幸運に恵まれたのは、家運が傾くなかでも行成が腐ることなく、誠実に働いていたからこそだろう。
この記事に関連するニュース
-
本来なら天皇になれるはずだったのに…生まれてから死ぬまで藤原道長に振り回された敦康親王の悲しき生涯
プレジデントオンライン / 2024年10月13日 15時15分
-
「孫を皇太子にした道長」あまりに強引すぎる策略 第1皇子の敦康親王が皇太子になるはずが…
東洋経済オンライン / 2024年10月13日 9時30分
-
栄華を極める「藤原道長」裏にある"大病との闘い" 一条天皇に出家を願い出ることもあったが…
東洋経済オンライン / 2024年10月12日 10時0分
-
宮中ご意見番「藤原実資」思わず涙した彰子の言葉 道長など時の権力者にも躊躇なく物申した実資
東洋経済オンライン / 2024年10月6日 14時0分
-
藤原道長にいいように利用され、最後は天皇の座を奪われた…2人の中宮を持った一条天皇が迎えた悲しい最期
プレジデントオンライン / 2024年9月29日 14時15分
ランキング
-
1大コケ映画「ジョーカー2」を責めてはいけない訳 今年最大の注目作があえてセオリー無視で挑んだこと
東洋経済オンライン / 2024年10月20日 12時0分
-
2「50代独身、団地暮らし」に猛烈に惹かれるワケ 「団地のふたり」が織りなす"なんかいい暮らし"
東洋経済オンライン / 2024年10月20日 11時0分
-
3竜王戦第2局、佐々木勇気八段が勝利し1勝1敗に…敗れた藤井聡太竜王「自信のない展開になってしまった」
読売新聞 / 2024年10月20日 17時45分
-
4嫌われ養鶏所→人気観光地に「たまご街道」の軌跡 地域住民と共生するためにやってきたこと
東洋経済オンライン / 2024年10月20日 12時30分
-
5ディーラー元営業マンがこっそり明かす「不人気新車を買わせるセールストーク」5選
日刊SPA! / 2024年10月20日 8時53分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください