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福島原発事故、国策に抗った元町長、孤高の闘い 1審だけで9年、「井戸川裁判」傍聴記(前編)

東洋経済オンライン / 2024年10月24日 8時20分

代わって代理人に就いたのは、元検事の古川元晴弁護士たちだった。古川弁護士は2015年に出版された『福島原発、裁かれないでいいのか』(共著)で、東電幹部を不起訴とした古巣の判断に異を唱えた。井戸川はその気概に目を付けた。それから8年が経ち、井戸川は再び弁護団と袂を分かった。弁護団が予見可能性と結果回避義務の議論に傾き、井戸川が町長として経験した事実を元にした書面を取り入れなくなったためだ。

長年取材してきた私から見て、井戸川は決して自分勝手な人ではない。ただ原理原則を曲げていないだけだ。井戸川だけが一切妥協せず、「東電は『事故は起こさない』とだました責任を取れ」「国は被災者を除け者にして勝手に決めるな」と訴え続けている。

加害者が押し付ける「偽り」を一度でも受け入れれば、それは「踏み絵」となって心を縛られ、泣き寝入りに追い込まれるのを知っているからだ。しかし井戸川以外の人間はとっくに受け入れている。

幼なじみの元副町長が証人として出廷

午前10時30分、3人の裁判官が現れて証人尋問が始まった。井戸川に先立ち、元副町長の井上一芳(77)が証言台の前に立った。井戸川と同じ地区出身の幼なじみだ。長く東京や仙台でサラリーマン生活を送った後、家業の農業を継ぐため双葉町に帰り、わずか3年後に原発事故が起きて再び故郷を離れることになった。

埼玉県加須市の廃校となった埼玉県立旧騎西高校に役場と避難所を構えた直後、井戸川から副町長への就任を打診された。井上は「ずっとサラリーマンだった自分に務まるのか」と、とまどったが、巨大な敵と対峙する友を支えるために引き受けた。

井戸川が町長辞職を表明した後、井上は数カ月間、職務代理者として国の要求を受け入れた。その傷は痛みとなり、井戸川のような捨て身の闘いには踏み切れないでいた。

井上は今も加須で避難生活を続けている。一方、自宅は福島県内の除染で発生した汚染土が運び込まれた中間貯蔵施設の用地内に今も残されている。

井上は自宅と土地を国に引き渡さず、住民票も双葉町に残したままだ。

国は中間貯蔵施設で汚染土を保管するのは最長30年間(期限は2045年3月)としているが、元通りになると考えている人はほとんどいない。万が一、元通りになったとしても、井上が帰還するのは年齢的に厳しいだろう。それでも役所から送られてくるアンケートに、井上は必ず「帰還の意思がある」と答えていた。それは井上の意地だった。

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