道長記した「御堂関白記」が"世界に誇れる"凄い訳 道長自身は後世に残すつもりはなかったが…
東洋経済オンライン / 2024年10月26日 8時10分
道長は自分の日記を後世に残すつもりはありませんでしたが、その願いはかないませんでした。意図に反して、摂関家の最高宝物として、現代に至るまで、大切に保存されてきたのです。時の摂政・関白でも簡単に見れるものではなかったようです。
道長の自筆本が残っている
そして道長の孫・師実の時に、1年分を1巻とする写本16巻が成立しています。
『御堂関白記』の凄いところは、古写本だけでなく、道長の自筆本が残っていることです。
あまり知られていませんが、これは日本最古、いや世界最古の自筆日記なのです。欧州にも朝鮮にも中国にも、これほど古い時代の日記は今に残っていません(ちなみに『小右記』は平安末頃の写本、『権記』は鎌倉期の写本があります)。
自筆日記がそのまま残っているのですから、なかには、誤記や抹消、書き換えなどもあります。しかし、そこから道長の精神を垣間見ることもできるのですから、自筆本『御堂関白記』の貴重さと魅力は大きいと言えるでしょう。
日記から書いた人の性格がわかることもあります。では、道長はどのような人だったのでしょうか。日記からは、道長は感情を露わにすることが多かったことがわかります。その感情の1つは怒りです。
藤原顕光(関白・藤原兼通の嫡男)は家柄はよかったのですが、無能の大臣として有名でした。自分勝手に儀式や仕事を進めようとしたり、他人の忠告も聞かず、人々からも軽蔑されていました。
そんな中、1010年1月に敦良親王(一条天皇の第3皇子。母は道長の娘・彰子)の、誕生50日目のお祝いが行われます(五十日の祝)。
その儀式の際、顕光は、天皇の御前の食膳を取ろうとして、それを打ち壊すという粗相をしてしまうのです。
これには、道長も「無心」(分別がない)と日記に、呆れとも、怒りともとれる想いを記しています。
呆れた感情も日記に残す
1012年には、大臣以外の官を任ずる朝廷の儀式(除目)に遅刻することもあった顕光。普通ならば「すみませんでした」と謝ることでしょうが、顕光は違いました。
「これまでにも、大臣の遅刻の際はこのようなものだった」「花山天皇のときの源雅信と藤原為光の例を自分は見たのだ」と、儀式に遅刻したことを、「先例」らしきものを持ち出して、正当化しようとしたのです。
道長はそのような先例はないとして、顕光のことを「目の前の非難を避けるために、ないことでも作る人だ。時々、このようなことを言う人だ」とまたまた呆れて日記に書いています。
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