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道長記した「御堂関白記」が"世界に誇れる"凄い訳 道長自身は後世に残すつもりはなかったが…

東洋経済オンライン / 2024年10月26日 8時10分

ちなみに、顕光は何でもかんでもやりたがるところもあったようです。1016年1月、顕光は、逢坂・鈴鹿・不破の3関を固め警備体制を敷く「固関・警固の儀」の担当者になりたいと願い出て、許されます。しかし、またもや、儀式の進行でミスを連発しました。

これを見た道長は「無理矢理に上卿(儀式を担当する公卿)を務め、多くの失態をして、ほかの公卿に笑われるとは。大馬鹿の中の大馬鹿だ」と顕光を罵倒したとされます。このエピソードは小右記に書かれている話です。

道長は陰でコソコソと人の悪口を言うのではなく、本人の前でもしっかり叱っていたようです。そうした意味で、サッパリした性格だったのではないでしょうか。

(主要参考・引用文献一覧)


・清水好子『紫式部』(岩波書店、1973)
・今井源衛『紫式部』(吉川弘文館、1985)
・朧谷寿『藤原道長』(ミネルヴァ書房、2007)
・紫式部著、山本淳子翻訳『紫式部日記』(角川学芸出版、2010)
・倉本一宏『藤原道長の日常生活』(講談社、2013)
・倉本一宏『藤原道長「御堂関白記」を読む』(講談社、2013)
・倉本一宏『紫式部と藤原道長』(講談社、2023)

濱田 浩一郎:歴史学者、作家、評論家

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