日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた
東洋経済オンライン / 2024年10月28日 18時0分
現在、日本人の平均寿命は80代ですが、江戸時代の平均寿命は30代くらいだったと言われています。しかし、全ての日本人が短命だったわけではありません。幼少期に亡くなる人の多さが全体の平均を下げているものの、実際には90歳を超える高齢者が一定数いたこともわかっています。つまり、高齢者介護の問題と直面していたはずです。
医療が未発達で、現在のような介護保険サービスも整っていない時代に、日本人はどのように介護に取り組んだのでしょうか?
日本では団塊世代の全人口が75歳以上(後期高齢者)となる、いわゆる「2025年問題」が大きな注目を集めています。
書籍『武士の介護休暇』では、江戸時代を中心に、様々な資料を駆使して日本の介護をめぐる長い歴史を解き明かします。そこから浮かび上がる、介護に奮闘した人々の姿と、意外な事実の数々——。介護の歴史を振り返ることで、きっと何かのヒントが見つかるはずです。
『武士の介護休暇』より、幕末期の武士が介護記録を書き残した日記について、一部抜粋、再構成してお届けします。
江戸時代の武士と介護
江戸時代の武士はどのように老親の介護を行っていたのでしょうか。
当時は現代のような介護保険体制が整っていたわけではなく、公的な介護保険サービスも存在しません。介護をする場合、基本的に家族など近くにいる人が担う必要がありました。武士の中には、日々の介護を詳しく記録している人がいて、その内容から当時の介護の様子が見えてきます。
ここでいう「武士」とは浪人や自称などではなく、幕府や藩に仕えていた旗本・御家人や藩士を指します。こうした武士は老後に隠居料が与えられるケースも多く、また家督を継いだ息子・養子のお世話になることも多かったので、すべて自前で老後の収入・貯え・住まいを用意する必要があった庶民層より恵まれていました。
ただ「介護」となるとなかなか大変な面もあったようです。武士の介護に関する史料・既存研究をひも解きながら、その実像についてご紹介しましょう。
日記に残された「武士の介護」
武士の介護を見る上で、史料がしっかりと残り、既存研究も行われている事例として、幕末期における沼津藩(現在の静岡県沼津市周辺)藩士の金沢八郎に対する介護が挙げられます。
金沢八郎の妻の名前は不明で、息子にあたる人物として金沢久三郎、黒沢弥兵衛、徳田貢、水野重教などの名が残っています。名字が違うことからも分かる通り、弥兵衛、貢、重教は他家に養子に行っており、金沢八郎の介護に関する記録は、息子の一人である水野重教が日記に残しています。
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