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日本人が知らない「武士の介護休暇」意外な手厚さ 江戸時代にも90歳を超える高齢者が一定数いた

東洋経済オンライン / 2024年10月28日 18時0分

この日記は『水野伊織日記』(伊織は重教の別名)として世に知られていて、1862年(文久2年)から1892年(明治25年)にかけての日々が記録され、幕末維新における沼津藩の動きを知る上で貴重な史料です。その一方、父である金沢八郎が病気で倒れ、介護をし、亡くなるまでの様子について事細かに記されてもいます。そこから当時の武士の介護を読み解けるわけです。

史料は日記形式であり毎日を逐一取り上げると大変なので、いくつかのエピソードを拾ってご紹介しましょう。

1866年(慶応2年)に起こった異変

まずは日本史上で「薩長同盟が結ばれた年」として知られる1866年(慶応2年)4月23日の出来事に焦点を当てます。この日、水野重教の実父である金沢八郎の身に異変が起こります。このとき八郎は江戸に出府していて、「八幡」に参詣してから家に帰っていつものように酒を飲み、酔っぱらって寝床に入ったのですが、次の日の朝になると、

「言語御渋り諸状不宜旨也」
(言葉をスムーズに話せなくなり、体調全般が良くない)

という体調が優れない状態となり、医師に見せて血の検査などをしたところ、

「是中風再發之徴候也」
(これは中風〔ちゅうぶ〕再発の兆候である)

と診断されます。八郎はそれまでも中風を患っていたようなのですが、飲酒がきっかけで再発したわけです。中風とは脳卒中による半身麻痺などの後遺症のことで、現代でも言葉がうまくしゃべれない、体にしびれが出るといった症状はその前兆として知られています。

八郎はその後少しずつ回復しますが、同年の秋頃からまた体調が悪くなったようです。その後八郎は藩から暇(いとま)をもらい、国元で療養生活を送りましたが、年が明けて1867年(慶応3年)の正月4日頃から難治性の吃逆(きつぎゃく〔しゃっくり〕)がひどくなり、薬を投与しても収まらなくなります。7日には医師より、

「年来中風御病之上、御老体旧臘より咽喉御悩、彼是ニて御疲労強所へ之吃逆ニて、種々之薬剤奏功無之上は、何分此度ハ心許なき」
(年来の中風の病の上、御老体は昨年12月から咽喉の悩みもありました。かれこれの病により疲労が強くなっているところにしゃっくりがひどくなり、各種の薬の効果もないので、なにぶんにも今回ばかりは〔命が持つか〕気がかりです)

と宣告されます。終末期に難治性のしゃっくりが見られることは現代でも多く、八郎に死期が近づいている兆候ともいえます。金沢家の跡継ぎである久三郎は藩命で江戸表に滞在中であり、すぐに国元から飛脚で手紙が送られています。

介護休暇を願い出た武士

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