意外と驚かれた「ベネトン」が日本撤退に至るまで 80年代に一世を風靡したブランドの栄枯盛衰
東洋経済オンライン / 2024年10月30日 9時40分
それから14年後の2014年に表参道店は閉店。50店舗ほどあった全国の店舗も順次閉店していった。筆者はこの間、表参道店の前を頻繁に歩いてきたが、お店の中に入ったのは数えるほどしかない。1980年代の成功の方程式をそのまま展開していた印象が強く、取材対象として興味を引かれなかったからだ。
今あらためて考えると、フランチャイズ形式という旧態依然としたビジネスモデルと、ブランドの衰退期に投じた過剰な投資=世界旗艦店戦略が首を絞めたように思えてならない。そしてここ数年、日本ではECのみの展開となり、今回の日本市場からの撤退に至った。
ジャパン社ではリテール事業のほかにライセンス事業を展開しており、オカモトがコンドーム、ビデ、瀧本が学校制服、マツモトが学童用カバン、モノーロが紳士用のベルト、バッグ、財布を展開している。これらのライセンス商品の今後の展開は現時点では不明だが、WWDの報道によると本国が引き継ぐ可能性もある。
それでもベネトンというブランドは、間違いなく後世のファッション史に残る偉大で革命的なブランドである。ここでベネトンの栄枯盛衰の歴史を振り返ってみよう。
創業者のルチアーノ・ベネトンは、1935年にベネチアに近い北イタリアの小さな町、トレヴィーゾで生まれた。戦後の北イタリアでは繊維産業が盛んになり、妹のジュリアナがニット工場で働いていたこともあり、1955年にニットウェアの生産と販売を開始した。
1965年にベネトンのニットウェア工場の操業を開始し、1968年に北イタリアのモンテベルーノに1号店をオープン。アンゴラ混の毛足の長い12色のカラフルなニットは瞬く間に評判となり、翌年には海外1号店をパリにオープンした。
1980〜90年代に時代をリードしたものの…
1980年代には輸出を大幅に拡大。1978年に2%代だった輸出比率は、1986年には60%にまで成長した。日本には1982年に進出し、西武百貨店と契約。前述の遠藤嶂氏は、西武百貨店の初代ミラノ駐在部長で、ベネトンはもちろん、ジョルジオ アルマーニ、ミッソーニ、ジャンフランコ・フェレ、ドルチェ&ガッバーナなどの錚々たるイタリアブランドを最初に日本に紹介した傑物である。
1985年のジャパン社の設立後は、バブル景気、インポートブランドブーム、チームを所有していたF1ブームなどの波に乗り、イタリアらしい色彩と買いやすい価格帯で若者たちの間で人気を集めた。また、写真家のオリビエーロ・トスカーニによる広告キャンペーンは、数々の話題、議論を呼び、多様性やジェンダーレスを訴える先駆けとなった。
この記事に関連するニュース
-
「サブウェイのワタミ」へ大転換、脱居酒屋の衝撃 現在の稼ぎ頭は宅食事業、65歳渡邉会長の本気
東洋経済オンライン / 2024年11月3日 7時45分
-
【Desigual News】デシグアルが中国市場強化に向け、 上海に初の旗艦店をオープン!
PR TIMES / 2024年10月25日 14時45分
-
「ベネトン」日本市場から撤退 イタリア発のファッションブランド、“ベネトンカラー”で人気に
ORICON NEWS / 2024年10月24日 18時14分
-
ベネトングループが日本撤退 イタリアの衣料ブランド
共同通信 / 2024年10月24日 18時7分
-
ベネトンが日本撤退
共同通信 / 2024年10月24日 18時1分
ランキング
-
1クリスマスケーキに異変…『卵』の価格高騰止まらず 夏の猛暑の影響で今後は鳥インフルエンザによる卵不足の恐れも
東海テレビ / 2024年11月21日 21時22分
-
2クシュタールの会長「セブン&アイとの統合で小売業のチャンピオンに」…敵対的買収は「考えていない」
読売新聞 / 2024年11月22日 9時5分
-
3KADOKAWA「サイバー攻撃」が示した経営リスク セキュリティの難題に日本企業はどう向き合うか
東洋経済オンライン / 2024年11月22日 7時20分
-
4一番人気の「かつ重」は300円未満! スーパー・トライアルが物価高時代に「安さ」で勝負できるワケ
ITmedia ビジネスオンライン / 2024年11月22日 6時10分
-
5「無人餃子」閉店ラッシュの中、なぜスーパーの冷凍餃子は“復権”できたのか
ITmedia ビジネスオンライン / 2024年11月20日 6時15分
複数ページをまたぐ記事です
記事の最終ページでミッション達成してください