「道長vs三条天皇」徐々に生じた"2人の大きな溝" 「一帝二后」を自ら主導した三条天皇の策略
東洋経済オンライン / 2024年11月3日 7時50分
早々と次を見据えていた道長だけあって、いざ一条天皇が崩御したら、もはや振り返ることはなかった。伝えられていた一条天皇の大切な遺志さえも、すっかり忘れてしまっていたという。
一条天皇の葬送は寛弘8(1011)年7月8日に執り行われた。「遺体を火葬して弔うこと」を「荼毘に付す」というが、北山で荼毘に付されると、一条天皇の遺骨は東山の円成寺に仮安置される。
次なる展開に意識がいっている道長は「心ここにあらず」だったと思われる。9日の早朝に道長からこんな言葉を言われたと、藤原行成は『権記』(7月20日付)に書いている。
「土葬にして、また法皇の御陵の側に置き奉るよう、故院が御存生の時におっしゃられたところである。何日か、まったく覚えていなかった。ただ今、思い出したのである」
一条天皇は生前に、円融院法皇御陵のそばに土葬するように言っていた。亡き定子がやはり生前に土葬を希望して、鳥辺野に葬られたこともあったのだろう。だが、そんな大事なことを、道長は何日間か、すっかり忘れていたのだという。
火葬にすべきところを土葬にしたならばまだしも、逆はもう取り返しがつかない。すでに火葬にしてしまっているのに、どうするんだ……と行成も思ったに違いない。
しかし、道長は「今さらいっても仕方がない」と持ち前の切り替えの早さを発揮。この話を終わらせているのだから、ヒドい話である。
三条天皇が道長を関白にしたがったワケ
「いかに最期を迎えるか」という大事な本人の希望さえ忘れてしまうくらい、道長の頭を占めていたのは、新たに即した三条天皇との関係づくりだったに違いない。
だが、どれだけ備えていても、いざ三条天皇の治世が始まると、想像以上にウマが合わなかったようだ。
まずは、何としてでも関白に就任してもらいたいと、道長は三条天皇から何度となくアプローチを受けることになる。何も道長を重用したかったわけではない。自分の側に取り込むことで、政治の主導権を握ろうとしたのであろう。
1011(寛弘8)年8月23日、三条天皇から「汝に関白詔を下すこととしよう」と伝えられると、道長は次のように応じたという。
「これまでも同様の仰せがありましたが、難しいということを申してきました」
関白になれば、公卿たちが議論する陣定には出られなくなってしまう。道長は「内覧」の地位のほうを好んだ。内覧とは関白に準じる地位で、奏上された文書に目を通すことができ、陣定にも出席できる。
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