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がんになったIT経営者が直面した「葛藤と現実」 2度の治療で「身長176センチ、体重46キロ」に

東洋経済オンライン / 2024年11月4日 16時0分

オーシャンブリッジの社長だった頃の高山さん。新オフィスに移転したお祝い(写真:高山さん提供)

IT企業オーシャンブリッジ創業者の高山知朗さんはどのように5度のがん闘病を乗り越えたのかーー。高山さんが実際に取り組んできた方法論を『5度のがんを生き延びる技術 がん闘病はメンタルが9割』より一部引用・再編集してお届けします。

2度のがん治療がもたらした深刻な体力低下

2011年に最初のがんである脳腫瘍の摘出手術と放射線治療と化学療法を受けて退院したときは、体力的なダメージはそれほど大きくはなく、2カ月ほどの自宅療養を経て、仕事に復帰しました(化学療法は退院後も通院で継続しました)。

【写真】悪性リンパ腫の治療を終えて退院した後は、体重が10キロほど減ってしまった

しかし、2013年に2度目のがんである悪性リンパ腫の治療を終えて退院した後は、体重が10キロほど減り、脚力や体力が衰え、仕事をするどころか会社に行くのも難しい状況でした。身長176センチで体重46キロになってしまったので本当にガリガリで、脂肪も筋肉も大きく失われていました。

脚力は、床に座った状態から自分の足だけでは立ち上がれないほどに落ちていて、いつも窓枠や妻の体につかまって立ち上がっていました。家の階段は四つん這いになったり両手で手すりにつかまったりして上り下りするしかありません。2〜3分も歩くと足が疲れ、近所を散歩するのもままならない状態でした。

それでも一日でも早く会社に戻りたいと、自分なりに毎日ウォーキングなどのリハビリに努めました。

数カ月して、多少体力が回復してきたころ、週に1回くらいのペースでタクシーに乗って会社に顔を出せるようになりました。とにかく早く仕事に復帰したい、またビジネスを通じて社会に貢献したいと必死でした。

私が設立したオーシャンブリッジは、海外のIT企業が開発したソフトウェアをローカライズ(日本語化)して日本市場で販売し、サポートを提供するビジネスを手掛けており、大企業や官公庁、自治体など幅広いお客様を抱えて事業を展開していました。

お客様から「オーシャンブリッジさんのおかげで業務効率が上がりました!」といった喜びの声をいただくたびに、世の中に貢献できているという手応えを感じていました。海外と日本の「架け橋」としてのオーシャンブリッジの存在価値を実感することができました。

30歳で人生をかけて立ち上げたオーシャンブリッジという会社は、自分のアイデンティティの大きな部分を占めていたのです。

起業した会社に戻りたいのに戻れない

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