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東京で一獲千金狙うも「酷評」店主の痛切な気づき 山形の超人気ラーメン店「新旬屋」はどう再生したか

東洋経済オンライン / 2024年11月7日 8時35分

「これが今はうちの財産になっています。コロナ禍でお店が営業できないときに、どうやってお客さんに旨いものを届けるかを真剣に考えたんですよね。お土産ラーメンや冷凍麺などはコロナ禍で生まれたものなんです」(半田さん)

さらには乾麺に注目し、地元の製麺所・酒井製麺所で特注麺を作り、ワンタンメン「雲海」を提供。

お店で乾麺を使うという珍しい動きに驚いたが、この麺の唯一無二のしなやかさに業界は騒然となった。これがきっかけでお土産用の乾麺が生まれ、全国のラーメン店の監修商品の開発が始まっている。

なぜ、「新旬屋」が山形県民の人気No.1になれたのか。半田さんはこう振り返る。

「やっぱり『金の鶏中華』を毎年美味しくしていっているからだと思います。進化しないで守ることも大事なんですけど、美味しく進化させるということがもっと大事だと思っています。

老舗といわれて今も大繁盛しているラーメン屋さんって多分我々の知らないところで味が変わっていっていると思うんですよね。うちも毎年毎年美味しくなるように変えていったら、6割ぐらいのお客さんが『金の鶏中華』をオーダーしてくれるようになったんです。はじめは批判されていたものが、地元の方にもしっかり受け入れられるようになったんです」(半田さん)

半田さんは「東京ラーメンショー」に出店してから景色が変わり、山形県のラーメン自体をもっとアピールするべく、他エリアのラーメン店を巻き込んだ活動を通じて県全体でラーメンを盛り上げる動きを始めている。

イベントで博多ラーメンや札幌ラーメンに比べて圧倒的に認知度が低いことを知り、「ラーメン王国」としてのアピールをもっとしていくべきというマインドになったという。

地元産の「さくらんぼ鶏」や、麺にも地元産の「ゆきちから」を使い、山形の食材をふんだんに使った「金の鶏中華」にパワーアップしている。ラーメンを通じて他県から山形に来る人が増え、山形県全体を盛り上げることを目指している。

彼のラーメンで、笑顔が広がっている

2012年からは山形県内にある児童養護施設の子どもたちを毎年お店に招待し、ラーメンを振る舞っている。もともと東洋水産のカップラーメン企画の優勝賞金を使って、カップラーメンを配りお店に招待したのがきっかけだった。2021年には、県内5つの児童養護施設に自転車を数台ずつ寄付すると、鶴岡市の子どもたちがその自転車に乗って60キロ離れた新庄のお店までお礼に来たという。

「涙が出そうでした。ラーメン一杯でこれだけの笑顔を作れるんだと、ラーメンって本当に凄いなと思いましたね。

はじめは自己満足みたいな感じの活動だったんですが、ラーメンひとつでこんなに子どもたちの笑顔が作れて、自転車で楽しく学校に行けたとか最高じゃないですか。

この中のひとりでも将来ラーメン屋になりたいなと思ってくれたりでもしたら本当に嬉しいですよね」(半田さん)

ラーメンが人生を変えてくれた半田さんの利他の精神。ラーメン界への恩返し、地元への恩返しというその熱い心が人気No.1を呼び寄せたのだろう。

井手隊長:ラーメンライター/ミュージシャン

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