祟りが原因?道長が重い病に苦しみ続けた背景 三条天皇は無礼を働いたと不満を漏らすことも
東洋経済オンライン / 2024年11月16日 7時40分
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は三条天皇と道長のエピソードを紹介します。
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道長の無礼に不満を抱いた三条天皇
1012年4月、その前年に即位した三条天皇は、藤原懐平(『小右記』の著者・藤原実資の兄)に対し、次のような不満を表明されたといいます。
【写真】道長の病を喜んだとあらぬ誤解をうけた藤原実資。写真は実資ゆかりの清水寺
「左大臣(藤原道長)の私に対する無礼が甚だしい。そのせいで、この一両日の間、寝食もろくにとることができない。とても、心配している。必ず、天の責めを被るであろう」。藤原道長に対する激烈な不満を、三条天皇は臣下に告げたのでした。
実際には、道長のどのような「無礼」があったかはわかりませんが、おそらく、道長が自らの外孫(敦成親王、後の後一条天皇)の即位に向けて、早くも何らかの行動をとっていた、それを三条天皇は無礼と見ていたのかもしれません。
天皇への無礼の天罰かは不明ですが、この年(1012年)の5月頃から、道長は重い病に苦しめられます(実際には3月頃から体調不良だったとも言われています)。
頭が割れるような痛みがあり、意識不明に陥ることもあったようです。父・道長が死ぬかもしれない、そうした想いが募ったのでしょう。子の藤原頼通が簾中で泣き出すこともありました。
そこで病気平癒のための祈祷が、道長の命令で行われることになりました。権僧正の慶円は、この病はかつて道長が比叡山へ騎馬で登ったことによる日吉社(滋賀県大津市。比叡山の麓に鎮座)の祟りであるとしました。
道長の3男・藤原顕信が1012年に突如、比叡山無動寺で出家した後、道長は比叡山に登りました。その際に、道長らは馬で比叡山に登ったのです。道長一行に対し、石を投げつける法師らもいました。「ここは下馬所ぞ。大臣・公卿は物事の道理・由緒も知らんのか」と怒ったのです。
法師が投げつけた石の1つは、道長の馬前に落ちたといいます。騎馬で比叡山に登るという先例はなく、藤原実資は「道長の行為は、現在そして後世の大きな恥だ。人に非ざる行為」と驚き呆れていますし、天台座主・覚慶(比叡山延暦寺の住職)も「騎馬による数十人での登山はけしからん。石つぶては、三宝(仏)の行為だ」と怒り心頭でした。ところが、道長本人は、石を投げた法師らを「放言の僧」とするなど、心から反省はしていなかったようです。
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