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赤羽から徒歩10分「嘘のように静かな街」の実態 2色の水門に住民が吸い寄せられる「岩淵」の魅力

東洋経済オンライン / 2024年11月16日 9時20分

「R-FACTORYに来たついでに、R-CAFEに立ち寄ってくれるお客さんも多いんですよ。荒川の土手には桜が多くて、季節になると、お花見客で街ごと賑わう感じです。あと、夏の花火も賑やかです。岩淵水門のあたりから打ち上がるんですよ」

R-CAFEでは、チーズケーキ(400円税込み)とコーヒー(400円税込み)をいただいた。

グルテンフリーのチーズケーキは甘さ控えめで、コーヒーによく合う爽やかな味。人気の商品だという。

100年にわたって街を守る2つの水門 

岩淵町は、地図を見てわかる通り、背後に荒川が迫る。

かつて、付近は川の氾濫による洪水被害に悩まされた。被害を食い止めるために、国を上げての大規模な土木工事が行われた。

要となるのが、通称「赤水門」「青水門」と呼ばれる2つの岩淵水門だ。

荒川下流河川事務所のパンフレットによると、江戸時代から明治時代にかけ、周辺では大規模な洪水が頻発し、住民の生活を脅かした。特に明治43年(1910年)の洪水は甚大な被害をもたらした。

これを契機として、洪水への対応能力を向上させるための、新しい放水路を建設することになったのだという。

工事の規模は壮大だ。

岩淵付近から下流に向けての約22km、幅約500mの放水路を開削し、岩淵水門を造って本流を仕切り、大正13年(1924年)に通水した。「荒川放水路」と呼ばれる水の逃げ道だ。水門付近から下流の荒川は要するに「荒川放水路」なのである。

そして今年、2024年は通水から100周年にあたる記念すべき年だ。10月にはイベントなども開催され、地元住民だけでなく、各地から客が訪れた。

1924年の10月12日に通水式を行った荒川放水路は、その後一度も決壊することなく、東京、埼玉の沿川都市の発展を支え続けている。

水門の見える荒川の土手は、住民たちの憩いの場だ。この日も、何組かの家族連れが土手の芝生にシートを広げてピクニックを楽しんでいた。

岩淵町は荒川に隣接するように位置する街だが、この土手があるおかげで水の被害から守られている。もちろん、自然にできた土手ではない。

これは、JR赤羽駅から岩淵水門までの海抜の断面を図式化したものだ。左端が赤羽駅で、右端が水門の付近だ。左から右に向かって、なだらかに海抜が下がっているのがわかる。

しかし、ひときわ高くなっている場所がある。これが荒川の土手だ。最も高いところで11mを超える。土手は、水の被害から街を守るために造設された堤防なのである。

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