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名前が話題の台湾野球選手、本来の読み方に想い 名前を取り戻してきた「台湾原住民族」の歴史

東洋経済オンライン / 2024年11月22日 16時0分

さらに個人の氏名についても日本政府と中華民国政府はともに同化政策を推進したために各時代で日本名、漢族名を強要した。その結果、原住民族の人たちは漢字表記かつ「姓+名」の形式で戸籍を登録させられた。その中では役所の都合で本人も知らないうちに適当な名前につけられたことも多かった。

原住民族にとって名前は文化や社会に深く根付いている。例えば、台湾原住民族団体の声明によれば、パイワン族の場合に「ギリギラウ」は個人名、「コンクアン」は「家屋名」である。

「家屋名」は「家族が住んでいる『屋』の名前」である。もしギリギラウ選手は家族と一緒に暮らしていた「家屋」を離れて、自分の「家屋」を建てた場合、「ギリギラウ」の後ろにつく「コンクアン」も新たな「家屋名」に変わることになる。由緒が正しい「家屋名」を継ぐことは、パイワン族にとって非常に誇らしいことだ。

他にも父親または母親の名前を継ぐ連名制など、原住民族はそれぞれの想いを名前に込めている。しかし、日本植民統治時代から続いた同化政策によって、付けられた漢名を受け入れざるを得なくなり、伝統名に込められる伝統文化との絆も失いつつあった。

日本が第2次世界大戦で敗戦した後、台湾では1990年代まで中国から台湾に撤退した中国国民党による一党独裁体制が続いた。「山地同胞」と呼ばれる原住民族も、同化政策や経済格差、差別に苦しんだ。

民主化と同時に進んだ原住民族の権利回復運動

1980年代に台湾で民主化運動が本格化すると原住民族も奪われた権利を取り戻すために動き出した。自分たちの名前を取り戻そうとする「正名運動」をはじめ、台湾に本来居住していた先住民族としての権利を訴える先住権運動が広がった。

先住権運動を始めるにあたり、原住民族内では「山地同胞」に代わる自分たちの呼称を検討した。植民統治時代につけられた「高砂族」は論外とされたが、日本語由来の「先住民族」は候補に上がった。しかし、「先」が中国語では「すでに滅びた」ことを意味するために却下された。最後は「もとから住んでいる人々」という意味がある「原住民族」に決定。権利回復の訴えが徐々に認められた結果、1990年代の法改正によって「原住民族」は正式名称になった。

各部族名についても政府につけられた9つの族名ではなく、自分たちの本来の族名を回復する運動が広がった。現時点で公式に認定された民族数は16民族に増え、現在も族名の回復や認定手続きが続いている。

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