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北九州・暴力団本部跡地に福祉施設が建つ意義 社会から排除される人を出さない「まち」作り

東洋経済オンライン / 2024年11月28日 11時0分

だが、組織からの報復を恐れてか買い手が見つかるのに難航した。土地を購入した事業者が「福祉に役立てられれば」といった趣旨のコメントをしているのを報道で知り、抱樸が手を挙げた。

ホームレス襲撃事件が発生した土地

この予定地は、抱樸の理事長、奥田知志さんにとって意味深い場所だそうだ。ホームレス支援を始めて2年目の1990年、地元の中学生によるホームレス男性への重篤な襲撃事件が起きた。中学生らが深夜の2時に路上で寝ていた男性の頭にコンクリートブロックを落とした事件だ。奥田さんは抗議と再発防止を訴えて、教育委員会や中学校を回ったが、当の被害者男性は言った。

「深夜にこんなことをする中学生は、家があっても心配する人がいないのではないか。俺はホームレスだから彼の気持ちがよくわかる」

その言葉は衝撃だったと奥田さんは言う。「当時、少年たちには何もできなかった。今では40歳か50歳になっているだろうか。だからこそ、ここに希望のまちを作りたい」。

北九州という土地には、この少年たちやホームレスのように社会に居場所を見いだせない人たちが多く存在する。北九州市は、1901年(明治34年)に創業を開始した官営の八幡製鉄所が置かれた鉄の町だ。内陸部には近隣の市町にまたがる筑豊炭田が広がっていた。水運にも恵まれ、北九州工業地帯が形成され、九州、中国、四国地方から人を集めた。人々は港湾、炭鉱、土木などの仕事に従事した。

だが、1970年代になると、エネルギーの供給は石炭から石油に移る。その後、鉄鋼業の衰退期が続く。経済的な失速の中で行き場を失った人々の一部は路上生活を送ることになった。暴力団は中学を卒業した若者たちを勧誘していたとの報道がある。暴力団は、就労が難しくなった人たちの受け皿になった側面もあった。

工藤会の勢力は2008年のピーク時の1210人から2023年の240人と8割減した。その間、殺人罪などが問われている工藤会トップとナンバー2が逮捕され、いまだ裁判で争っている。ナンバー2である会長は裁判で、「工藤会をなくすつもりはありません」「こういう世界じゃないと生きられない人間もいる」と語ったという。

こうした会長の発言に対して奥田さんは、「だからこそ居場所のない人たちのためにまちを作りたい」と言葉を強めた。

社会から排除される人を出さないために、奥田さんは新たなまち作りにおいて「弱目的性」という言葉を重視している。「弱目的性」という言葉を作った歴史学者の藤原辰史さんは、著書『縁食論』でその意味を「目的を敢えて強く設定せず、やんわりと複数の目的に目配りしながら大きく広く構えてみる」と説明している。

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