1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. ライフ
  4. ライフ総合

生きがい失った男に届いた「手紙」と新たな出会い 「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫②

東洋経済オンライン / 2024年12月1日 16時0分

世をいとふ心は山にかよへども八重(やへ)たつ雲を君や隔つる
(俗世を厭(いと)う私の心はあなたのいらっしゃる山里へも通い、またあなたの心とも通じているはずですが、お目に掛かれないのは、八重に重なる雲でお隔てだからでしょうか)

阿闍梨はこの手紙の使いを先に立てて、八の宮邸に向かう。ごくふつうの身分の、当然訪ねてきてしかるべき人の便りすら来ない山陰の住まいに、院の使いとはじつに珍しいことなので宮はよろこんで迎え入れ、場所にふさわしいご馳走などを用意して、それ相応に歓待する。宮の返事は、

あと絶えて心すむとはなけれども世をうぢ山に宿をこそかれ
(俗世をすっぱりと捨てて悟り澄ましているということはありませんが、この世を憂きものと思い、宇治山に仮住まいをしております)

修行のことについては謙遜し、あえてこのように宮が返歌をしたので、今もやはりこの世に未練がないわけではないのだ、と冷泉院はいたわしくそれを見る。

阿闍梨は、中将の道心が深そうであったことなどを宮に伝え、

「『経文などの真意を会得したいという願いを幼い頃から強く持っていながらも、やむを得ず俗世にかかわり公私ともに忙しく日々を過ごしておりまして、ことさらに引きこもって経文を読み習いながら世の中に背を向けて暮らすにしても、おおよそたいしたことのない身で、だれに遠慮しなければならないこともないのですが、自然と怠りがちになり、俗事に紛れて日を送っていました。けれどなかなか真似のできない宮のお暮らしぶりを人伝に聞きましてから、このように心からお頼りしております』と、それは熱心に申しておられました」などと話す。宮は、

「この世の中をかりそめと悟り、厭う気持ちがきざしてくるのは、自分の身に不幸が起きて、世の中の何もかもが恨めしいと思い知らされるきっかけがあってこそ、求道心も起こるものでしょう。この君は年も若く、世の中は思い通りになり、何ごとも不足はないと思える境遇でありながら、そのように来世まで思いを馳せていらっしゃるのは感心なことです。私の場合は、そうなるべき宿世なのか、ただこの世を厭い離れなさいと、ことさらに仏がそう仕向けてお勧めくださっているような身の上なので、おのずと、静かに修行したいという願いもかなえられていきますが、もはや余命もそう長くはない気がするので、きっちりと悟りも得られずに終わってしまいそうに思います。今までもこれからも、何ひとつ会得できないと思いやられますから、このお方は、かえってこちらが恥ずかしくなりそうな仏法の友になってくれそうですね」などと言い、それから中将とは互いに手紙をやりとりするようになり、中将も宇治を訪ねることとなった。

次の話を読む:12月8日14時配信予定

*小見出しなどはWeb掲載のために加えたものです

角田 光代:小説家

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください