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もはや理解不能「京大話法」夫婦の呆れた日常会話 どこまでも「そもそも」を突き詰めてしまう

東洋経済オンライン / 2024年12月14日 17時0分

たとえば、次の会話を「京大話法」に変換しよう。

妻 今日の夕飯のお味噌汁、具は何がいい?

夫 何でもいいよ。豆腐とかあればそれを入れればいいんじゃない?

妻 冷蔵庫にはネギがあるから豆腐とネギでいい?

夫 具は2種類だけ?

妻 ほかに何が欲しいの?

夫 油揚げとかどうだろう。

妻 油揚げはないけど買ってこようか。

夫 俺買ってくるよ。

このやりとりを「京大話法」にすると、次のようになろうか。

妻 今日の夕飯のお味噌汁、具は何がいい?

夫 お味噌汁って、出汁は取るの?

妻 そりゃ、出汁を取らないと、お味噌汁にはならないんじゃない?

夫 いや。鶏肉を具にすれば、出汁なくてもいいかなって。

妻 鶏肉で出汁を取るのは難しいんじゃない。

夫 取れるときもあるでしょ。手羽先とか入れれば。

妻 じゃあ、手羽先を買ってきてもらえる?

夫 手羽先を買うならスーパーじゃないほうがいいよね。

妻 任せるけど……。

と、ここまでで、もともとの会話にあった「油揚げを買ってくる」ところから、遠く隔たっている。隔たったという意識は、もちろん当事者にはない。

夫、つまり私だったら、この後の会話は、手羽先を買うなら精肉店であり、精肉店に行くなら、お味噌汁の具以外の献立も考え直そうとする。

先の会話のポイントは、話を大きく逸らしている夫だけではない。ふたりとも、「お味噌汁」の定義、「そもそも」論を無意識に持ち込んでいる妻にもある。

「出汁を取らないと、(そもそも)お味噌汁にはならない」。こう、妻が返したために、その後のやりとりは、具材に何を入れるのかではなく、出汁を取るにはどうすればよいのか、という、ぐるぐる回りへと展開していく。

これも繰り返しになってしまうが、私自身、こうした会話を苦痛だとはまったく思っていない。むしろ当たり前だととらえている。

20年以上続く「京大話法」による日常会話

仮に先の会話の場面が、スーパーに移ったときを考えよう。

(スーパーにいる夫から電話)

夫 油揚げ買おうと思ったんだけど、今日は小松菜が安いんだよね。

妻 油揚げはやめて小松菜でいい?

夫 構わないよ。じゃぁ小松菜買って帰るわ。

「京大話法」にすると、次のようになる。

夫 油揚げを買おうと思ったんだけど、油揚げって、なんだかお味噌汁の具としては邪道な気がしてきた。

妻 邪道って何?

夫 あまり食べ応えがないし、手抜きにも見えるし、出汁との相性も難しいし。

妻 食べ応えがあるかどうかは、人それぞれじゃない?

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