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誰が本当の夫?「清少納言の夫」のさまざまな説 夫の1人と言われている橘則光には物騒な話も

東洋経済オンライン / 2024年12月21日 12時30分

こうした記述から、清少納言と実方は、夫婦関係にはなく、恋人だったのではと考える人もいます。

則光が最初の夫、棟世が次の夫の説

橘則光も、清少納言の夫と目されている人物です。則光も土佐守や陸奥守などを歴任した貴族でした。

学者によっては、則光が清少納言の最初の夫、藤原棟世が次の夫ではないかと考える人もいます。また則光と清少納言の間には、則長・季通(季通の母は清少納言ではないとの説もあり)という息子がいたとされています(娘も産んだのではないかと言われています)。棟世との間には、一男一女(重通と小馬命婦)がいたとも言われています。

最初の夫とされている則光とは、清少納言が16歳か17歳の頃に結婚したのではないかとされています。

その則光ですが『今昔物語』(巻23)には物騒な話が掲載されているのです。それは「陸奥前司・橘則光、人を切り殺す語」というものです。

それによると、則光は武士の出身ではなかったものの、心が太く、思慮深く、体も強かったとのことでした。見た目もよかったので、人々から一目置かれていました。

そんな則光がまだ若かった頃のことです。一条天皇の御代に、彼は衛府の蔵人として勤めていました。

則光は宿舎から抜け出て、女性のもとに足しげく通っていました。

太刀を持ち、小舎人の童1人を連れて、大宮通りを歩く則光。すると大垣の辺りに人が沢山立っているのを、則光は目にしました。

則光は関わり合いを持ちたくないと思い、通り過ぎようとすると「おい、そこの者、止まるのだ。君達がおられるのだ。ここを通すわけにはいかぬ」との声が聞こえます。

則光は無視して通ろうとしますが、則光のもとに走ってきて「通さんぞ」と言う男性もいました。

則光がその男性を見ると、弓は持っておらず、太刀を持っていました。「弓を持っていないならば、恐れるに足りない」、こう安心した則光はそこを通り過ぎようとしますが、男性は太刀を振りかざして襲いかかってきます。

身をかがめる則光。男は勢い余り、則光に覆いかぶさってきました。さすがの則光も太刀を抜かざるをえず、男の頭の真ん中を斬ります。すると男は、仰向けに倒れてしまいました。

則光に次々と走り寄る男性たち

「よし……」と思っていたら、またすぐに別の男性が「どうしたんだ」といって、走り寄ってきます。

則光は太刀を脇に挟み、逃げようとしますが、その男性の足は早く、追いつかれてしまいました。仁王立ちで男性を待つ則光。そこに男性が突進してきます。その男性も勢い余って、則光に激突。倒れてしまいました。則光はそこを素早く太刀で頭を斬るのです。

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