87歳で死去「道長の娘・彰子」及ぼす強大な影響力 藤原実資から「狂乱の極み」と批判されたことも
東洋経済オンライン / 2024年12月22日 8時30分
また、道長が一条天皇の第1皇子である敦康親王ではなく、自身の孫である第2皇子の敦成親王を皇太子にするべく働きかけたときには、彰子は父の身勝手さに失望したようだ。彰子は「丞相(道長)を怨み奉った」と、道長の側近である藤原行成が日記に残している。
自分の子どもが皇太子になる喜びよりも、養母として幼い頃から面倒を見た敦康親王の立場を同情する……彰子にはそういう優しいところがあった。
長和元(1012)年5月には、彰子は亡き一条天皇のために、法華八講を行う。数日かけて営まれる大掛かりな法会にもかかわらず、欠かさず参加した実資に対して、彰子はこんな感謝の言葉を伝えた。
「お追従をしない実資が、八講に日々来訪してくれて、大変悦びに思う」
さらに彰子の「故院の一周忌が終わって、部屋の室礼が喪中から日常に変わったことがしっくりせず、ものさびしい」という言葉も聞くと、実資は女房たちの目の前で涙したという。
気遣いあふれる彰子は、いつしか父の道長に対しても、ただ「怨み奉る」だけではなく、言うべきことをはっきりと言う女性に成長していた。
長和2(1013)年2月、道長が「1人ずつ何か1種類、食べ物を持ち寄ることにして、彰子の御所で宴会を開催しよう」と呼びかけると、彰子はこう言い切ったという。
「最近、中宮・妍子の御所で連日宴会が開かれており、参加の公卿に負担を強いることになっている。今は、権力を握っている父・道長が居るので、皆へつらい従っているが、死んだ後にはみな非難するに違いない。中止すべきである」
父だけではなく、妹の妍子の宴会好きなところにも苦言を呈しながら、道長主催の「持ち寄りパーティ」を中止に追い込んでいる。これには実資も「賢后と申すべきである」と日記で称賛した。その後、わが子である後一条天皇の成長に安心したのか、万寿3(1026)年に彰子は39歳で出家を果たしている。
だが、道長の死後数年が経った長元4(1031)年、彰子が行った石清水八幡宮・住吉社・四天王寺への御幸は、ずいぶん豪華だったらしい。参加者たちの華美な服装や、荘厳な船の様子に、娘にせがまれてやむなく見学に来た実資は「多くは遊楽のためか。世間の人々は驚くばかりだ」と呆れて、さらにこう言っている。
「狂乱の極みというのは、このことを言うのであろう」
彰子らしからぬ贅沢さは、道長の姉で最初の女院となった藤原詮子の参詣を見習ったものだったらしい。その後、彰子は民に負担を強いるようなことは行っていない。
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