韓国「本当の」戒厳令を経験した日本人の回想 1970~80年代、軍人によって抑圧された社会のリアル
東洋経済オンライン / 2024年12月22日 12時0分
私が帰国した後の1982年に、先にお話しした夜間通行禁止令が解除されます。後から聞くと、国民の誰もが解放感いっぱいで心から喜んだそうです。同時に、それ以降、大学生を中心とした反政府デモなどが活発化します。
実は禁止令があったときも1年に3日だけ、5月の釈迦誕生日とクリスマス、そして大晦日は禁止令が解除されました。
1年に3日だけに許される解放感に包まれた韓国社会の様子は、とても印象的でした。誰もが喜々として外出し遅くまで外にいた。いつもは見られない市民の表情をみたのも、この時です。
ただ、個人的には朴正熙のときよりも全斗煥時代のほうが政治的には抑圧され、厳しかったと思います。戒厳令は軍人が主役です。軍内部の争いもありました。そしてクーデターは成功すれば「革命」となり、失敗すればすぐさま死刑です。とてつもない緊張感をはらんだものでした。
もの言えば唇寒しの時代
――それからすれば、今回の戒厳令騒ぎにはそんな恐怖や緊張感が感じられませんね。
今回の戒厳令騒ぎのときに、戒厳令が解除されたことに対して「市民の勝利」「民主主義の勝利」との声が聞こえました。
でも、当時の様子を知っている者として、本当の戒厳令下の社会では「市民」の「市」の字も、「民主主義」の「民」という字を言おうとした時点で、さらに極端に言えば「反対!」という拳を挙げようと腕を動かそうとした時点で、当局からすぐさま拘束されただろうと思ってしまうのです。
北朝鮮と対峙していることが韓国社会の緊張感につながっていることを先に述べました。それも大きな理由だったとは思いますが、結局は朴正熙も全斗煥も自分の身の安全のために国家、国民を巻き込んだだけです。そのために、国民の人権を犠牲にしてでも戒厳令を布告した。こういったことを尹錫悦は知っていたのでしょうか。
当時は令状なしの拘束や言論の自由と言論機関への抑圧もひどかった。検閲もあり、後に全斗煥は「言論統廃合」と称して反政府的な媒体を廃刊に追い込み、記者たちも拘束・解職させました。
これは朴正熙時代でも同じです。反政府的な内容の記事は検閲で削除され、全国紙『東亜日報』などは削除された部分を白いまま発刊させられたこともあります。本当に「もの言えば唇寒し」の時代でした。
今回、民主化が進んでいたことが韓国にとって本当に幸いでした。それゆえに、尹錫悦がなぜ「戒厳令」という手段を選んだのか。不思議でなりません。
福田 恵介:東洋経済 解説部コラムニスト
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