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75歳を過ぎたら「一つくらい病気持ち」が案外いい 90歳現役医師「病気の有無より気にすべきこと」

東洋経済オンライン / 2024年12月23日 7時10分

75歳を超えたら、これまで常識とされてきた「高齢者観」を忘れ、新たな発想で考えていくことが必要です(写真:Luce/PIXTA)

長年、老年医学の研究を続けてきた現役の超高齢者である折茂肇医師が、90歳になってたどり着いたのが「たいていのことはほったらかしでいい」という考えです。

では、実際には衰えていく体とどう向き合っていけばいいのでしょうか。折茂肇氏著『90歳現役医師が実践する ほったらかし快老術』より一部抜粋・編集してお届けします。

第1回『「骨の老化」を甘く見る人が知らない"ドミノ骨折"』

第2回『「大腿骨を骨折した人」半分は5年以内に死亡の怖さ』

75歳を超えたら「発想の転換」が必要になる

75歳以上の高齢者を対象とした研究は少ない。「教科書」となるべき指標がなく、人によって個人差も大きい。そうとらえれば、75歳以上の高齢者では、これまで常識とされてきた「高齢者観」をひとまず忘れ、新たな発想で考えていくことが必要だろう。

そもそも、高齢になれば体の働きが衰えるのは当たり前。病気になるのも当たり前。それを嘆いたり、どうにかしようと抗ったりしても仕方ない。自然な流れに逆らっても無駄に体力を消耗するだけだ。病気があるからといってくよくよ嘆くことはないし、それで自分の人生をあきらめてしまう必要はないのだ。

75歳を超えたら「無病息災」を願うのではなく、発想を転換させて「一病息災」の精神でいくのが賢明だろう。一病息災とは、「一つも病気がなく健康な人より、一つぐらい病気を持つ人のほうが健康に気を遣うのでかえって長生きする」ことを意味する。病気と仲良く、それが無理でもせめて、悪友と付き合うような気持ちで、「まあ仕方がない。付き合ってやるか」と受け入れるほうが、気持ちも楽になるのではなかろうか。

病気があっても元気に生きる。そのためには、心の持ちようが肝要だ。

75歳を境に体が大きく変化するのであれば、心の持ちようも変えるのが道理であろう。大原則として、「おおらかに考える」ことをおすすめしたい。自分の老いを感じるたびに一喜一憂しない。細かいことにこだわりすぎない。くよくよしない。それが大事ではないだろうか。「あれしちゃダメ」「これは体に悪い」などと細かいことを気にしすぎるのはストレスになるし、ストレスこそが体にはいちばん悪い。

人間だって動物だ。疲れたら休みたくなるし、睡眠が足りなければ眠くなる。元気なら動きたくなるし、体調や気分によって食べたいものも変わる。理屈にこだわるより、自分の体からの声に耳を傾けて、その時にしたいようにする。食べたいものを食べる。それがいちばんだ。

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