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旧ジャニ「解散のない"奇跡の20年間"」の凄まじさ なぜ「ジャニーズ事務所」は特別だったのか

東洋経済オンライン / 2024年12月27日 9時0分

そんな状況を踏まえてなのか、1回目の記者会見で「なぜこのような状況下において市場を寡占できているのか?」という趣旨の質問があった。そのときの藤島ジュリー景子のキョトンとした顔が印象的だった。当たり前のことすぎて、考えるまでもなかったという様子で、その表情自体が答えのようにも感じた。

そこに東山紀之が「やはりタレントの努力なんじゃないですかね」と答え、ジュリーが「過去はひょっとしたら、男性のアイドルという存在がすごく少なかったときから私どもがやらせていただいていたということも大きいのかもしれません」と加えた。ジュリーの発言には謙遜も見られるが、そもそもその寡占していると指摘された市場自体を作ったのがジャニーズなのである。

初代ジャニーズがデビューした60年代当時、少年が歌い踊るという文化はなく、当初は「ガキタレ」「ジャリタレ」などと呼ばれ馬鹿にされていたという。当時をジャニー喜多川は「芸能人は25歳以上っていうのが至極当然の時代だった※6」と振り返っている。

さらに「男が足を上げて踊るなんて恥ずかしいという時代。そこから出発して、男が踊っても当たり前、という風には変えてきたつもりです※7」とその変遷を語り、「確かに今はアイドルと表現されていますけれどもガキタレ、ジャリタレは僕が作ったようなものでね※8」とも発言している。

それが、今や男性アイドルと呼ばれる一大ジャンルとなっている。ジャニーズ事務所がなければ、日本に男性アイドル文化が誕生していなかったといっても過言ではない。

最大のライバルは4人組時代の「DA PUMP」

ただ、そんなジャニーズにとってもライバルはいたはずだ。中でも強力だったのは、4人組時代のDA PUMPだったのではないだろうか。

DA PUMPは97年、ライジングプロダクション初の男性4人組HIPHOPグループとしてデビューした。同事務所所属で同じ沖縄出身のSPEED、MAXらが一世を風靡していた頃である。レコード会社はエイベックスだ。

沖縄のストリートでダンスの鍛錬を重ねていたISSAのハイトーンボイスに加え、KENによる本格的なRAPが楽曲に取り入れられたのも当時としては新しかったし、4人での活動の後期にはYUKINARIが自らトラックも作成していた。一言で言うなら“ルックスもいい実力派”といったところだろうか。

もちろんデビュー後も進化はしていたが、ジュニア時代から成長過程を見せるジャニーズに対し、DA PUMPは若くしてほぼ完成形として出てきた印象もあった。

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