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立川談志「殺しはしませんから」弟子の親に説く訳 「伝説の落語家に弟子入り」とはこういうことだ

東洋経済オンライン / 2024年12月27日 11時40分

そして、その前座という労役から解放されるのが「二つ目」というランクです。この二つ目から初めて、落語家とカウントしてもらえるようになります。さらに精進を重ねて、弟子を取っていいという「のれん分け」のような存在が「真打」であります。

皮膚感覚として、「真打になったときより二つ目になったときのほうが嬉しい」というのは、修業を経ている落語家なら誰もが抱く感情です。

そんな師弟関係を象徴するようなエピソードをご紹介しましょう。弟弟子から聞いた話です。

彼は師匠ともう1人の別の兄弟子と一緒に、車で都内を走っていました。兄弟子が運転し、彼が師匠の身の回りの世話をする2人態勢です。

都内某所で、彼は不覚にも師匠の隣で居眠りをしてしまったそうです。

激怒した師匠は、その場で彼を降ろし、運転していた兄弟子に命じ目的地まで去って行ってしまいました。彼は電車でその目的地まで向かい、師匠に土下座して詫びたとのことでした。

こんな激しい間柄は、絶対に一般の社会ではありえないでしょう。

特に昨今、コンプライアンスを問われる一般企業においては、例えば上司が部下にかようなことをさせたら完全アウトである案件です。

でも、これを認め合うコミュニティが落語界なのです。なぜか。

要するに「一般社会の上司・部下」が「対称性のあるコミュニケーションが前提」だとすれば、徒弟制度における「師匠と弟子」とは、あくまでも「非対称な関係」だからなのです。

師匠の怒りは当然です。

「死ぬほど憧れた俺と一緒という、最高の空間と時間を与えているはずなのに、居眠りするとは言語道断だ」という師匠の理屈に対して、弟子は「心底詫びてなんとか許しを得る」しかないのです。

対称性が基本の間柄でしたらば、年数の違いはあれ、どこまでもフィフティ・フィフティでしょうが、徒弟制度での「持たざるもの=前座」はただひたすら非対称性の中に置かれ、師匠の機嫌を保ち、快適にするしかないのです。それが前座の仕事なのです。

つまり、以上のような非対称性を芸においてクリアし、対称性の関係に改善することを称して「修業」と呼ぶのであり、それが師匠と弟子との間で無条件に成立および共有されている感覚こそが、「徒弟制度」の大前提なのです。

弟子入り、徒弟制度などこれらの込み入ったややこしい概念を談志は、「俺はお前にここにいてくれと頼んだわけではない」という一言で言ってのけたものでした。

落語界の「徒弟制度」で培った気づかいの本質

通常の前座期間の2倍以上かかってしまった不器用な私は、いつも談志に言われていた言葉でした。「惚れた弱み」を一方的に抱かざるをえなかったのが弟子の辛いところでもありました。

要するに、徒弟制度とは、一般社会とはまったく異なる「気づかい」が徹底されているコミュニティなのです。

だからこそ、かようなコミュニティで生き抜くための「気づかいの本質」に気づけば、一般社会においても、ものすごいアドバンテージになるのではないか。それこそが、『狂気の気づかい』という本を書くにあたってのいちばんの動機でした。

談志は、壮年期の元気がいい頃、口癖のように「狂気と冒険と」と言っていました。すべてを変えるのは、「狂気」からです。

立川 談慶:落語家・立川流真打

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