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「レコード大賞歌手」の彼女が選んだ意外なその後【再配信】 1曲1000円で歌う、ゴールデン街の「流し」の生き様

東洋経済オンライン / 2024年12月27日 8時0分

1日に5万円近く稼げる日もあれば、数千円のときもある。収入的には不安定だが、それでもBe-Bさんは流しの活動に誇りを持っていると話す。

「流しって、昔は蔑称で呼ばれることもあった芸人なんですが、芸能界のいしずえをつくってきた人たちでもあるんです。戦後のラジオやレコードしかない時代に、譜面を手書きして、夜どおし飲み屋やキャバレーで生演奏をして歌う。そして人気の出た歌手が芸能界を築いていったんですね。歌手にとって原点である、現場で歌うこと。それができているのは本望ですし、胸を張れます」

デビュー1年目でレコード大賞新人賞を受賞

だが現在に至るまで、Be-Bさんの音楽人生は激しい浮き沈みがあり、栄光も挫折も味わってきた。

幼少のころから歌うことが好きだったBe-Bさんは、親戚の集まりではおもちゃのマイクを持って歌を披露、小学校2年生の文集では「歌手になりたい」と書いた。中学生のころ、兄が家でよく洋楽をかけており、ハードロックに夢中になる。コピーバンドを結成し、Be-Bさんはボーカルとして、中学・高校と打ち込んだ。高校卒業後は歌手になるために上京し、さまざまな仕事をしながら音楽活動を行った。

「最初は寮のあるレストランに入社したのですが、拘束時間が長くて、これじゃ音楽活動ができないなと。1年弱で辞めて、フリーターのロック姉ちゃんになりました。カラオケスナックでバイトもしたし、当時はキャバクラに箱バン(生演奏のバンド)が入っていたので、働きながら歌ったりもしました」

1994年に転機が訪れる。バンドメンバーの後輩経由で知り合った音楽プロデューサーから声がかかり、デビューが決まったのだ。決め手はBe-Bさんの声質。歌唱力は練習でうまくなるが、声質は生まれ持ったもので変えられない。そこを評価され、「真夏の愛YAIYAI!」でデビューしたのだった。

念願かなったわけなのだが、事務所が売り出した方向性はアイドル系。大好きなハードロックのようにシャウトして歌うことは許されず、明るく澄んだ声でレコーディングに臨んだ。楽曲も、自身が作詞作曲したものは「こんな地味な曲は売れない」とボツにされ、ふてくされそうになる気持ちを抑えて、用意された曲を歌った。すると、セカンドシングル「憧夢〜風に向かって〜」で、第36回レコード大賞新人賞と日本ゴールドディスク大賞新人賞に輝いた。デビュー1年目にしての快挙である。

芸能人じゃなくて歌手になりたかった

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