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「技術の日産」を象徴する名車たちのヒストリー 対照的なトヨタの存在、最先端のEV技術は健在

東洋経済オンライン / 2024年12月29日 11時0分

トヨタ「スターレット」に対抗した小型ハッチバック車が、日産「マーチ」である。海外では「マイクラ」と名付けられ、大衆車の1台として存在感を得ている。初代は、ラリー競技向けに、ターボチャージャーとスーパーチャージャーの両方を装備するマーチRという車種を設け、リッターカークラスと分類された小型ハッチバック車でさえ、高性能化の技術を盛り込んだ選択肢を出現させて、技術の日産ぶりを発揮した。ルノーと提携後の3代目は、欧州車風の走りに加え、色とりどりの外装色や外観の独自性などで高い人気を得ている。

そして日産を代表するスポーツカーが「フェアレディZ」だ。オープンカーのフェアレディから、ファーストバックのスポーツカーとして1969年に誕生して以降、日本はもとよりアメリカでそれぞれの世代が人気を博し、伝説的ともいえる存在感を今日も持つ。トヨタからは1967年に「2000GT」が先に登場しているが、そちらは1代限りで終わっている。

市場動向や競合の様子などを加味しながらも、トップダウン的に技術を押し出して商品性を高めてきた日産の各車は、それぞれに人生の思い出と深く関わりを持つことが多いのではないだろうか。

セドリック/グロリア、そしてフーガへ

そのなかには、「セドリック」と「グロリア」も含まれるだろう。セドリックは日産の最上級4ドアセダンであり、グロリアはプリンスから販売される競合車であった。それは両社の合併により、セドリック/グロリアという兄弟車種の関係になった。両車は、のちにまったく同じ車体やエンジンの仕立てになったが、それぞれの車名を残す形で存続し続け、“セド・グロ”と呼ばれ親しまれた。ただ、ルノーとの提携後、「フーガ」に名を改めることになる。

スカイラインは継続したが、一時、インフィニティのバッジをグリルにつけるなど、日産を代表する車種であるという価値を手放したことがあった。

セド・グロがフーガとなり、スカイラインが日産ではなくインフィニティのバッジを使ったあたりから、日産車を選ぶ意味が薄れだしたように思う。

一方で、ルノーとの提携を通じて新たに技術の日産を世に示したのは、電気自動車(EV)「リーフ」の発売だ。

1990年から世界的にEVの模索は行われてきたが、本格的に量産市販を実行したのは、三菱自動車工業の「i-MiEV」と日産リーフという日本のメーカーであった。

今となれば、排出ガスゼロというゼロ・エミッションの重大さが評価されるが、2009~2010年当時はまだ、市場にその意味深さが浸透していなかった。1990年に、アメリカ・カリフォルニア州でZEV(ゼロ・エミッション・ヴィークル)法が施行されて20年近くも経っていたにもかかわらず、である。

先見の明、時代に先駆けてEVへ転換

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