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便意と尿意が転機?「徳川家康」のまさかの歴史 23年の大河ドラマ「どうする家康」も話題に

東洋経済オンライン / 2024年12月30日 17時0分

そのとき家康さんがいた和泉国(現在の大阪の一部)の堺は、本能寺とは目と鼻の先です。「これやばいぞ。次は近くにいる自分が光秀に狙われるんじゃないか」とビクビク。「ああ、もう終わりだ。俺も光秀に殺されるんだ。だったら、そうだ。切腹しよう」と思いつくわけですね。さすがにこのときも家臣になだめられて、なんとか自分の岡崎城まで船で帰ったんですけど。

その後、明智光秀を討って天下を取った豊臣秀吉に従っていた家康さん。秀吉の死後、天下分け目の戦、関ヶ原の戦いに勝ち、ようやく自分の天下というタイミングで豊臣家の残党を滅ぼすために、大坂の陣という戦をします。家康さんは「今後は俺の天下だから、味方になるよな」と、全国の大名を集めて、豊臣秀頼のこもる大坂城を囲むんですね。

そんな中、豊臣方の真田信繁(幸村)が隙を突いて家康の本陣に攻め込んできたんです。まさか自分が攻められるなんて、夢にも思っていない家康さんですから、まだ全然有利な立場なのに「ああどうしよう。もう終わりだ。切腹しよう」ってなっちゃうんです。ここでも、また生きながらえますが、何かにつけて切腹しようとしがちな家康さん、ちょっと情けないですよね。

ちなみに、独立して自分で勢力を広げようとしていた時代に、遠江国(現在の静岡県あたり)の三方ヶ原の戦いで武田信玄と争ったことがあったんですが、武田信玄は強いんですね。コテンパンにやられて、命からがら自分の城へ逃げ帰りました。

ただ、怖かったんでしょうね。そのとき家康さんは、なんと! 馬の上でうんち漏らしちゃったんです。そのうえ、「この悔しさを忘れるものか」と、お尻も綺麗になっていない状態のまま、絵師に似顔絵を描かせました。悔しそうなしかめっ面で。ただそのときには、切腹するとはならなかったんですね。

絶対に、「今でしょ」っていう気がしますけれども。でもその悔しさをバネに天下を取ったわけですから、天下統一はうんちのおかげなのかもしれません。

天下一のケチだから成功できた!?

実は、倹約家だったからこそ天下を取れた、ともいわれている家康さん。幼い頃から人質生活を送っていたので、いろいろ我慢しなきゃいけないことには慣れていたんですね。

偉くなってからも着物はボロボロになるまで着て、新しい着物を持ってきたお手伝いさんを「馬鹿野郎! まだ着れるのにもったいないだろう!」としかりつけてしまいます。

家臣が座敷で戯れて相撲を取っていたときも、「もうやめろ! 畳が傷むから、裏返せ!」と言って、畳一枚で怒ってしまうケチさ。かわいいですね。さらに「薄黄色のふんどしをしろ」と家臣に命じています。真っ白のふんどしよりも汚れが目立たないから、って。自分が使うならいいですけど、家臣にまで強制してしまうところが、ケチの極みですよね。

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