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「こしょう」への欲望が生んだ「株式会社の発明」 資本主義の最も重要な手法の1つだが副作用も

東洋経済オンライン / 2025年1月1日 8時0分

これは投資家のリスクを大幅に軽減し、ハイリスクの事業を立ち上げようとする者たちが、おおぜいの投資家から出資を募ることによって、莫大な資金を調達できるようにした。

こうして誕生したのが、英国東インド会社(1600年設立)やオランダ東インド会社(1602年設立)といった企業だった。両社は世界初の有限責任会社ではないが、「東インド」のスパイスをヨーロッパに運ぶ事業を成功させ、のちにはそれぞれインドとインドネシアを自社の植民地にすることで(植民地は当初は国ではなく、企業の所有物だったのだ)、有限責任という制度を有名にした。

有限責任によって資金が獲得しやすく

有限責任は今では当たり前になっているが、19世紀までは、遠隔地との貿易や植民地の拡大など、国益にかなうリスクの高い事業にのみ、国王から─絶対王政の廃止後は政府から─授けられる特権だった。

当時は、そのような例外的に認められるケースも含め、有限責任という手法には懐疑的な者が多かった。経済学の父、アダム・スミスもそのひとりで、有限責任会社は経営者に「他人の金」(スミス自身の言葉)でギャンブルをさせるものだと批判した。

スミスにいわせると、有限責任の経営者は自社の完全な所有者ではなく、失敗してもすべての損失を引き受ける必要がないので、むやみにリスキーなことをしやすかった。

この指摘そのものは正しいが、有限責任で大事なのは、無限責任の場合よりもはるかに大規模な資金動員が可能になるという点だ。だから資本主義の宿敵カール・マルクスも、有限責任会社を「最高度の発展を遂げた資本主義的生産の形態」と称えたのだ。もちろんその賛辞の裏には、資本主義の発展が早まれば、それだけ社会主義の実現も早まるという思惑があったわけだが(マルクスの理論では、資本主義が十分に発展してはじめて社会主義は到来するとされている)。

19世紀半ば、マルクスの共産党宣言が発表されてからほどなく、大規模な投資を必要とする重化学工業(鉄鋼、機械、工業化学、製薬など)の勃興によって有限責任の必要性はさらに増した。もはやケースバイケースで有限責任の認可を与えるのではすまなくなった。遠隔地との貿易や植民地事業だけでなく、基幹産業のほとんどが大規模な資金調達を必要としていたからだ。

その結果、19世紀末には、大半の国で有限責任が特権ではなく、権利(いくつかの最低限の基準を満たせばいい)になった。以後、資本主義は有限責任会社(または株式会社)を主な原動力として発展を続けてきた。

進みすぎた金融化

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