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日本の正月料理はなぜ、世界的にも「特殊」なのか 世界の人たちは新年に何を食べているのか

東洋経済オンライン / 2025年1月1日 8時40分

新年に対応する英語は「New Year(新しい年)」だが、正月に対応するぴったりな英語を私は知らない。正しい月を直訳したら「Authentic Month(真正の月)」あたりになりそうだが、そんな英語は聞いたことがない。結局、新年も正月もNew Yearという表現にまとめられるが、これは英語という言語において正月に該当するぴったりな概念がないからだろう。

正月というのは、神道に基づく行事とされる。考えてみれば、正月は仏教の寺ではなく神道の神社に行き、しめ縄飾りには神道を思わせる白い紙(しで)がついている。

神道は日本固有の信仰で、あらゆるものに神々が宿るとするが、その神の1つが歳神(としがみ)様。一家の守護神であり御先祖である。その歳神様をお迎えするのが正月。つまり正月は神道行事なのだ。

だから一連のしきたりめいたことがあるし、歳神様のためにお節料理を作り、お餅と共にお供えし、おさがりの餅で雑煮を作って神人共食の考え方のもと両端が細くなった祝い箸で食べる。神様が召し上がった食べ物には特別な力が宿ると考え、そのお下がりを人間がいただくことでご利益を得ようとするのだ。日本の正月は、「新しい年になったね!」よりずっと意味の深いものなのだ。

もう1つの観点として、そもそもお節料理のようなものがあらゆる文化圏で成立するのかという疑問がある。

お節料理の重箱の中に込められた意味といったら、なかなかな盛りだくさんだ。黒豆はマメに生きる、数の子は子孫繁栄、海老は腰が曲がるくらい健康長寿——。食材や料理の1つひとつに掛詞のような意味合いがあり、それらを食べることで願いをかける。

お節料理は、特別おいしいご馳走というわけではないが、食べる行為自体に重きがあるもの、意味を食べる類の食べ物だ。キリスト教のミサで与えられるパン切れはおいしいものではないけれど、「聖体」としてありがたくいただくのと似ているかもしれない。

お節は「ハイコンテクスト文化」を体現している?

このお節料理のゲン担ぎ、なかなか“ハイコンテクスト”だ。意味を知らない外国人が見たら、黒豆はただの真っ黒な豆だし、数の子はぷちぷちしていてなんともいえない味だし、海老は殻なしでまっすぐの方が食べやすいと思うかもしれない。意味を理解し信じないと成り立たない、ハイコンテクストな食べ物なのだ。

パイや餃子に「あたり」が入っているのは、文化を共有していなくても経験を共有できる。あたりはあたり、その人はきっとラッキー、わかりやすい。数の子を食べて「今年も……」と願いを込めるのはそれより一段ややこしい。

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