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大河主役「蔦屋重三郎」苦難を飛躍に変えるスゴさ 江戸のメディア王と呼ばれ名作を世に送り出す

東洋経済オンライン / 2025年1月5日 8時0分

太秦映画村の吉原通り(写真:kouyunosa / PIXTA)

NHK大河ドラマ「べらぼう」で主役となる蔦屋重三郎(つたや・じゅうざぶろう)については、初めて名前を耳にした人も多いことだろう。重三郎は20代前半で吉原大門前に書店を開業し、書籍の販売と出版をスタート。浮世絵師を巧みにプロデュースし、「江戸のメディア王」として名を馳せた。一体、どんな人物だったのか。江戸時代中期に花開いた町民文化とともに、この連載で解説を行っていきたい。

幕府から罰金刑が下された蔦屋重三郎

のちに「江戸のメディア王」と呼ばれる男は、頭を抱えたことだろう。

【写真】江戸のメディア王だった蔦屋重三郎は、松平定信の改革で危機に陥る。写真は松平定信像

天明6(1786)年、自由な経済活動を推進した老中の田沼意次が失脚。やがて現れたのは、松平定信という頭がカッチコッチの全く融通が利かない老中だった。

「白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき」

白河の水はきれいすぎて、かえって魚も住みづらい。昔の濁っていた沼が恋しい――。松平定信による「寛政の改革」が行われると、その厳格さに庶民はかえって田沼時代を恋しがったという。

それも無理はない。定信は、賄賂が横行した商業主義政策を見直すべく、緊縮財政と風紀取り締まりによって、幕府の財政を立て直そうとした。定信は祖父にあたる8代将軍・徳川吉宗を見習うべく、吉宗と同じ方針をとったのである。

倹約を推奨しながら、農村の復興を図るべく、都市で働く者を農村に帰す「旧里帰農令」を発したうえで、飢饉対策として米などを貯蓄する「囲い米」の実施などを行った。

しかしながら、いくら財政改革のためとはいえ、定信の倹約令はあまりに厳しかった。高級な菓子や子どものおもちゃ、障子の張り替えなども、ぜいたくとして規制している。女性が髪を結うことまで禁じたというから、明らかにやりすぎだ。

そんな定信からすれば、出版社による政治風刺などもってのほかである。定信の鋭い視線は、ある男をとらえて離さなかったようだ。

その男こそが、軽妙な文学作品を出版し、ベストセラーを連発していた蔦谷重三郎である。重三郎が刊行した出版物には、世相や政治を揶揄する風刺を盛り込まれたものが多く、幕府からすれば不愉快な内容だったに違いない。

目立つ相手を処罰して見せしめにするのは、いつの時代も同じである。重三郎の奔放な出版活動は幕府から問題視され、「身上に応じて重過料」、つまり、身分や財産に応じた罰金刑が科せられることになった。

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