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"黄金パンツ"の92歳ラガーマンが貫く「生涯現役」 40歳以上のラグビーチーム「不惑倶楽部」とは?

東洋経済オンライン / 2025年1月6日 12時0分

【写真】「不惑倶楽部」が作った年代別のグループ分けとパンツの色は、世界のシニアラグビーの共通ルールになっている

90歳を超えてもなお現役でラグビーを続ける永山隆一さん。2023年には、フランスで開かれたラグビーワールドカップの公式スポンサー「ジャガー・ランドローバー」からオファーを受けてCMなどに登場し、世界の人々を驚かせました。

永山さんは60歳まで外科医として勤務。定年退職後は産業医や社会人ラグビー部のチームドクターを経て、70代以降も自宅クリニックで診療を続けました。一方、ラグビーを始めたのは大学時代。医師としてのキャリア以上に長い年月をラグビーとともに過ごしてきました。

そんな永山さんのラグビー人生を著書『92歳のラガーマン ノーサイドの日まで』より一部を抜粋し、ご紹介します。

日本に「不惑倶楽部」あり!

ぼくが90代になってもラグビーを続けられるのは、もちろん家族のサポートが大きいのですが、所属しているラグビークラブ「不惑倶楽部」のおかげです。

【写真】90代でも元気にフィールドを駆ける永山さん

不惑倶楽部とその仲間たちが存在しなければ、ぼくが90代になってもラグビーを続けるなどありえなかったからです。

不惑倶楽部は、まだ戦後の復興が始まったばかりの1948年1月に誕生しました。ぼくが高校生になる頃で、当時、その存在は知りませんでした。

戦争から戻ってきた元ラガーマンが中心になり、焼け野原となった東京のバラック街に集い、「せめて昔のように、ラグビーを楽しもうじゃないか」と40歳以上のラグビーチームを立ち上げたそうです。

発起人7名の選手たちは「七人の侍」として、いまも語り継がれています。チーム名の「不惑俱楽部」は「四十にして惑わず」という孔子の教えより名づけられたものです。

当時、40歳以上のシニアラグビーチームなど世界のどこにも存在しませんでした。ラグビー発祥の地であるイングランドにもなかったそうです。つまり、日本の不惑倶楽部は、世界初のオーバー40ラグビーチームなのです。

不惑倶楽部に刺激を受け、数カ月後には大阪に「惑惑ラグビークラブ」が誕生し、さっそく不惑vs.惑惑の試合が行われたそうです。その翌年には福岡に「迷惑ラグビー倶楽部」が誕生。1952年以降はこの3チームによる「三惑対抗ラグビーフットボール大会」が定期的に開催され、ぼくも不惑倶楽部入会後から参加しています。

【写真】90代の永山さんのライフスポーツはラグビーだ(4枚)

さらに日本の「惑ラグビー」に共感した海外の選手が、自国でもシニアラグビーチームを立ち上げるようになりました。1979年には世界のシニアラグビーチームが集う「ゴールデンオールディーズ・ワールドラグビーフェスティバル」も始まり、これも不惑の仲間といっしょに、ぼくは何度も海外遠征に参加しました。

不惑倶楽部で広がったシニアラグビーの世界

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